selectively_slow

アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 



ブッダが名家に生まれ何不自由ない生活を

しているにもかかわらず

結婚して、奥さん妊娠出産にもかかわらず

親を捨て、妻を捨て

息子に悪魔と名付けて家出して放浪した

それは何故なんだろう?と読んでみた本




家出後も時々家に帰っていた説など

あったけど、結局ハッキリとしたことは

分かっていないみたい



それで本当に謎なのは

悪魔と名付けられた息子もブッダとなった父に

師事したということ、とはいえブッダが帰ってきた時

息子は9歳で言われるがままに出家し、弟子入りしたようだから

親との再会が嬉しくて迎合したのかもしれない


息子が出て行ってしまった

ブッタの父親もしかりで仏門に入ったようだ



複雑、、、、、



とはいえ仏教は発祥の地インドでは流行らず

アジアの各国で広く受け入れられていった


聖人ブッダは家で夫で親妻子どもを捨てた

お坊ちゃまだったってのは私にとっては衝撃だった


温室育ちで苦労を知らず、

外の世界を知りたくて、結婚し子供が出来て

怖くなったのかもしれない

あぁ私は一生この塀の中なのか?と



彼が4つの門から見た人々、「四門出遊」の話

老いた人、病気の人、死んだ人を見た後に出家者を見た

時に思えば自分の人生が味気なく思われたのかもしれない



なおガンジーも同じく妻子供を捨てた

家族の概念を捨てた人らしい

ガンジーの考え方は

子どもを産むことは原罪的な呪いの行為だと

息子の再婚に反対したらしい

その後、息子は酒と女に溺れ

父に反対する文章を出版したらしい

ガンジーも結構なクソ親だったことが分かり

ビックリした、結局現代に都合が良いところだけを

ピックアップして聖人化しているような気がしてならない



小林正観さんの本初めて読んでみた

頂いたからと言って病気になるまで
甘いもの食べるとかなっかなかだなと思った


大学に入って超常現象研究所?に入るくらいだから
人との興味の持ち方が違ってたんだろうとは思う

物書きで食べていけてこれだけ講演とかしてて
子供は障害を持っていて
父親とはそりが合わず出ていけ!的な状態で
そしてそういう人生になったのも全て筋書きという感じの論

アガスティアの葉の話が気になっていたので
読めてよかった




ついに手に取った。トラウマを否定している点と
脳科学的な扁桃体の過活動などは合致しない

程度の軽めの生きづらさを
抱えている人にはいいかもしれない。

トラウマ発作に苦しんでいる人は症状を否定し

症状が出る=自分が潜在的にそうなりたいと願ってる論
であるこの本の言わんとする所は
更なる苦しみの元だと思われる


問題行動により注目される利得
劣勢である利得、不幸である利得を選んでいる、と

実際トラウマ持ちの人は幸せになると
加害の矮小化になるため
幸せになろうとしないことも少なくない

個人的にはアドラー心理学は合わなかったが
嫌われる人にはとっとと嫌われて
視界からいなくなってくれた方が良いと思う

作中の哲学者は感じが悪くて
私だったら絶対通うのやめてたw

哲学者は親との関係を修復したくないから
殴られた記憶を持ち出していると分析した

目的論に立った場合、対人関係のカードは
常に自分が握っていると解釈する

父親との関係を修復することを選んだそうだが
修復する価値のある人物だったのだろうか?

承認欲求は縦の人間関係、褒める、認められたいも縦、横の人間関係への変化は大きい
年長者と意識の上で対等であること、主張すべきは堂々と主張することが大切。


親子関係の苦しみから踏み出したい場合

トラウマのフラッシュバックが強く出ている時期は
思い出すのも心身への負荷が強いので
絶対無理しないほうがいい

このワークができるのは
ある程度落ち着いてる時期に
差し掛かってからだと思う

印象的だったのは
自分も同じことを他人にしていたことを自覚する
親の行為が自分の助けになっていたことを知る

自分の行為が他者にも利益を持したと考える(よくないと思ってたこと)
親は反対の性質も持っていたことに気づく
愛されていた証拠集めをする

認知が固着して固まって
偏ってるのを緩めるのに良さそう
被害者ポジションを抜けるのにも役立ちそう

ディマティーニメソッドの転用だそう

今日は通院だった

主治医がとても良い人で

体調はだいぶ良くて


今回は基本処方継続のみの

診察予約

いつもの先生じゃなかった




ボソボソ喋って聞き取りにくい

思いやりが感じられない

こっちみてくれない


満足感のない診察でした

不満に思って

今日の先生の努力不足と

考えることもできる

過去の私であれば

不満スイッチオン

だったかもしれない



普段の主治医が

医者にしては飛び抜けて

コミュ力がある人だから感謝だなぁ



あの人じゃなかったら

通院やめてただろうな

ありがたいな、わたしってツイてるな

と思うこともできるなぁと感じた


それにしても今日の先生は

仕事楽しくなさそうだったなぁ


医師には学習虐待を

受けていた人も多いと聞くと

なんか思うところがある



先週くらいから

母への可哀想という気持ちが

なくなってきて

母への怒りも解放されてきたので


父に文句言ったら

母がとばっちりにあってかわいそう

と思って言えなかったことを

ガンガン言いたい気持ちになってきました




だって母だって私のことなんも

気にかけてくれず

こちらからの連絡も

無視していたのだから

何を遠慮することがあろうか


私の苦しみは

与えた本人たちに熨斗をつけてお返しする

のが筋ではないか?と思う気持ちがムクムク


親には生きていてほしくはないけど

死に逃げされてもいいのかなと思った


どうせ壊れてる関係なんだから

言いたいこと言っても失うものないなと

いう気持ちも出てきた


それで相手がどんな反応をしようと

それは相手の課題であり

私はとても傷つきました

私はあなたが役割を十分果たしていないと思いました

と自分のことを伝えるのは悪いことではないと思うのです



単純接触効果とはCMとかで

何回も見ていれば

だんだん親しみを

感じるようになるってやつだけど


親子として20年近く寝食を共にし

結果人として嫌い、合わないのだから

とてつもなく単純接触回数が多いのに

合わないのだから、まぁ、もう、

ほんとに会わないのだろうなと思うし


幸いお互い自立してるので

もういいかなとも思う


サイテー!って思うことがほとんどだ



連絡ないのに不満を持ってる

自分が悪かった、仲直りしようと

言ってくればいいのにと思ってる



ただ連絡来てもその内容によっては

不快極まりないのだから

連絡来ないほうがマシかもしれん





世界で話題になった
母親になって後悔している

という本を読む機会に恵まれて
読んでみているが

うん、一定の女性にとって
子供を持つことが将来の人権を確保するための
方法だったのだなとよくわかった感覚がある

同質化を図るために
家庭を作り子供を育てる

自分の価値を高める為に
結婚し、子供をもうけ、
高い給与を得ようとする



そういう親世代のエゴイズムの結果に
生まれた子供は親のエゴイズムの道具として存在する。

従って、たまたま家族として
生まれただけの人間同士であるから
心から温かい関係を家庭内で体験する事は
難しいのだなとよくわかった。







2014年 
親との確執もありつつ素直で

一生懸命な側面がある人なんだなぁと感じた。

①儲けとは自分が経験してきたこと
によって得られる、
人生を豊かにするすべてのもの

金銭的なもの、失敗から学んだこと
友人、知り合いといった人間関係などすべてが儲け

悩み苦しみながら自分なりの答えを
出してきた経験こそが儲け

②「君は若いし将来必ず出世する!」
と言ってくれた人の存在。

③仕事に誇りを持てない奴は人生負け。
トイレの清掃を時すぐ汚される
トイレに喪失感を感じていた(当然だろう)

50代の男性の先輩に愚痴ると
「トイレがいつまでもピカピカだったら
我々の仕事はない。汚れを見つけたら喜べ」

「キレイに使いましょう」の張り紙は
我々の存在を否定している

汚れたトイレを掃除するために
我々がいるのだから」

☞マイナスをプラスに感じ取る力で
伸びしろや存在価値を感じる


③話す割合は6:3:1=お客さん:上司:自分 
楽しそうに聞いて相槌をうつ。

自分の1はお客さんへの質問に使う
聞いてきた話から短く質問を投げる



④自分にないものを悲観する必要はないが
その事実は常に意識しなければならない

バカはバカなりに考え行動することが大切。



インスタで見つけて読んでみた本 女友達との完璧な信頼関係や
安心感というものは
立場の変化とともに
当たり前に変わっていくもので

人間関係は川の流れのように〜って感じの小説 100%の人間関係なんてどこにもない
100%幸せな人生を送ってる人もいない
欠けているからこそ、あるものがありがたい そんなことを思った小説 人間関係はできては、なくなる だからこそ自分との人間関係大事にしたいと思った

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