selectively_slow

アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

30分程BSPをした

そのうち1件はお喋りが止まらない、しゃべりたい衝動のケア

スコア9 → スコア7


お喋りしたくなる背景には

自分に関心を寄せてほしいというインナーチャイルドがいる
→承認欲求

こんなことも知っている、役に立つ自分であるというアピール
→知識欲の強さも、恐れから来ていたかもしれない

我意でコントロール欲求
→その場のコミュニケーションの中心でいられる

相手の話をもっと聞けるようになったら良いなと思う


女性のADHDにはお喋りな人がいるらしいが

機能不全家族で育った子供にもADHD様の症状がでるらしい

私は遅刻や忘れ物が多いタイプでもないし

社会生活におおきな影響は出ていないし

診断も受けていない

もっと落ち着いて話して

聴いてができるようになると良いなと思う



私がご縁があった中で

1番執着が強かった元彼の話



他の元彼たちは

別れたくないなんて思わなかった

わりとサラッと別れを受け入れてドライだった



まぁ、私が相手を好きになったというよりは

だいたい相手が私と付き合いたいというから

付き合ってみてるケースが多かったし

付き合っても自分の好きが

盛り上がることもさほどなかったし


1人の元彼だけ執着が強かったのは

その元彼の社会的ステータスが

特に高かったから があると思う


自尊心が育ってなかった私は

ハイスペな彼の彼女である自分に

自己価値を見出していたんだ



彼は付き合う人を好きに選べる

立場であるはずなのに

私を選んでくれているということが

私には価値があると思えて

あの頃の私は気持ちが良かったんだろうなとか




どうしてあの人の夢を見るのかわからず

しんどかったけど

この辺の心理もあるんだろうなと思う


彼は私に自己価値観を与えてくれた



私はそれに依存していた

彼自体よりも彼のステータスに

依存していたのかもしれない


結局私は他の元彼に対して同様

1番執着していた元彼にも

自己無価値観を埋める効果を

求めていたのかもしれない

彼は私に『エゴが強いね』

というパワーワードを残していった


本当に憧れて好きだった彼だった

ダメなところもあったけど

私もダメなところあったし

別れたのは潮時だったなと思う



ACで結婚は絶対したくなかった私ですが
学生時代は割と彼氏が途切れることがなかった

彼と別れると
『アナタが好きでしたー』
的な人がやってくる

最初は『そういう目で見ていないから』と
断ったりしながら

なんだかんだでアプローチしてくれた人の中から
誰かと付き合うことが多かった

男の目を気にするでなく
メイクや服装髪型
ネイルなどに特別に
気を配るわけでもなく


受けを気にする
仕草をするでない
私の何かを見て

男たちは私を好きだと言った
好き?もよくわからなかったが
断る理由もなかったりした

私に価値があると言ってくれる人がいるのは
親からネグレクトを受けてきた私には
染み入るものがあった

しかし


私は彼らがくれた無条件の愛情を
育てることをできずにいた

私に向けてくれた包容力、関心、思いやりは
私を支えてくれたと思う

親という頼れる存在がなかった私を
無条件で好きと言ってくれた元彼たちは
本当に今思えば感謝でしかない

でも私は彼らに同じものを
お返しすることができなかった
返そうとさえすることができなかった

関係性は作り上げていくものだとは知らなかった
元彼たちに申し訳ない気持ちが初めて湧いてきた

彼らが穏やかな幸せに包まれているといいなと思う

機能不全家族で育ったと

気づいて6回目の年末

かなり楽になった


幸せそうな家族以外の人も目に入るようになった

独り身なんだろうなー

不機嫌そうだなー

とか家族連れだけど全然仲良くなさそうだな

とか

刮目した感じ


地上波のテレビは毒だなと思った

ファミリー向けの構成になってるから

CMも家族の繋がりとか

そういうキレイ目なの推して御涙頂戴する

その点YouTubeとかは

視聴履歴に応じたCMが入るから

マシになる エアビーのCMは嫌いだけど


私の父は自己中心的で

お湯を出して食器を洗ってると

めちゃめちゃ怒ってました

給湯ランプがついてるのに気づくと

大声を出してキレていました



そのせいで母は手荒れしてつらそうでした

手伝いを求められることもなく

手伝いを申し出ても断られるので

家事は母の仕事でしたが



この情景は私に結婚育児への

ネガティブな印象を

与えたのは間違いありません


父は三人兄弟の3番目

弟も三人兄弟の3番目



父にとっては初めての男の子で
当時子供だった私でも
明らかに喜んでいる父を見て
少し白けていた

一人息子には自分の名前を
一部入れた名前で
思い入れはひとしおという感じ

周りから見ても兄弟差別は
なかなかだったみたい

父は弟にこうだろう!ああだろう!
自分本位に絡んで
弟の意見などはお構いなし

母もまた弟の欲しがるものは
なんでも与えて
猫可愛がり、肥満気味になる

父は弟を甘やかして
弟が不登校になっても
好きなだけ休ませていた

人に向き合うのが苦手な父だから
学校に行きたがらないという
繊細なシチュエーションに
対応できなかったんだろうと今は思う

母も対人関係苦手だから
学校ともうまくやりとりできなかったのか?
学校自体がおかしかった可能性もあるが

とにかく弟は可愛がられてたようには
見えたけど、ペットのような可愛がり方で
生物として可愛い時期が過ぎたら
ポイされた感じだ

勉強しなくても受かる大学を卒業して
ニートになって、10年以上になる?

父は遅くにできた子は障害の率が高いと
他人事のように言っていたけど

ここまできたら社会に出ても
迷惑ばかりかけるのではと思う






私は仕事でオーバーバーン気味になることが多かった

学生時代のアルバイトは大変でも楽しくできたのに

なんで卒業後の仕事では

こんなに苦しくなることが多いのか

不思議だった


ある日分かったことは

私にとって仕事は復讐で逃亡手段だったということ

私を価値のない人間のように扱った両親へ

復習するタメに、給与の良い仕事に吸い寄せられた

仕事を頑張ることで、私には価値があると思いたかった

だから無理して、頑張っていた

恐れからきているので苦しかった

年収が高ければ高いほど

父の支配から遠く逃れられ

奴隷のような

経済支配を受けた母の様な

人生を送らなくてよく

バカにされ、虐げられることもないと思った




だから打算で仕事を選んでいた

恐れから働きすぎていた




これからは失ってしまった心の豊かさを

意識して過ごしていきたい


会話が成立しなかった祖母



子供の頃から父方の祖母とは
会話が全然噛み合わなかった


一方母方の祖母とは
子供の頃から話が盛り上がる

ふと何が違いなのだろうか?と思った

歳?耳の聞こえ?
確かに父方の祖母は耳が悪そうだったけど
私が小学生の頃から会話できなかった
おそらく祖母は70歳くらいか?


地元の訛りがひどすぎて私が
聞き取れなかったからか?

いや違う、わたしは郷里の言葉はかなり堪能で
今でも郷里の人と会えばバリバリだ

シンプルに会話ができない人だったと思われる

こちらの話は聞いてないで
言葉を紡ぐ人だった

電話で話すのも
直接会って話すのも
苦痛だった

脈絡のない話ばかり
こちらの返しがなんであろうと
関係ない話の展開に疲れ果てるが
親戚は久々に顔出したんだから等
話すろうに強要する


そんな調子だから
父方の祖母と話すのは嫌だったし
会うのも楽しく無くて嫌だった


でもね、よく考えたら父も一緒だ
あの祖母にして息子であるあの父なのだ


父の素行に悩まされた時
お父さんはあなたが生まれる前からその性格で
生きてこられたんだと思いますよ

と言われたことがあったが

今祖母を振り返り、あの祖母にしてあの父なのね 

これからも会話が成り立つこともないだろうな

と何か霧が晴れた様な気がした

機能不全は連鎖する

人との会話の仕方も

無意識的に似てしまうのだろう







ブッダが名家に生まれ何不自由ない生活を

しているにもかかわらず

結婚して、奥さん妊娠出産にもかかわらず

親を捨て、妻を捨て

息子に悪魔と名付けて家出して放浪した

それは何故なんだろう?と読んでみた本




家出後も時々家に帰っていた説など

あったけど、結局ハッキリとしたことは

分かっていないみたい



それで本当に謎なのは

悪魔と名付けられた息子もブッダとなった父に

師事したということ、とはいえブッダが帰ってきた時

息子は9歳で言われるがままに出家し、弟子入りしたようだから

親との再会が嬉しくて迎合したのかもしれない


息子が出て行ってしまった

ブッタの父親もしかりで仏門に入ったようだ



複雑、、、、、



とはいえ仏教は発祥の地インドでは流行らず

アジアの各国で広く受け入れられていった


聖人ブッダは家で夫で親妻子どもを捨てた

お坊ちゃまだったってのは私にとっては衝撃だった


温室育ちで苦労を知らず、

外の世界を知りたくて、結婚し子供が出来て

怖くなったのかもしれない

あぁ私は一生この塀の中なのか?と



彼が4つの門から見た人々、「四門出遊」の話

老いた人、病気の人、死んだ人を見た後に出家者を見た

時に思えば自分の人生が味気なく思われたのかもしれない



なおガンジーも同じく妻子供を捨てた

家族の概念を捨てた人らしい

ガンジーの考え方は

子どもを産むことは原罪的な呪いの行為だと

息子の再婚に反対したらしい

その後、息子は酒と女に溺れ

父に反対する文章を出版したらしい

ガンジーも結構なクソ親だったことが分かり

ビックリした、結局現代に都合が良いところだけを

ピックアップして聖人化しているような気がしてならない



小林正観さんの本初めて読んでみた

頂いたからと言って病気になるまで
甘いもの食べるとかなっかなかだなと思った


大学に入って超常現象研究所?に入るくらいだから
人との興味の持ち方が違ってたんだろうとは思う

物書きで食べていけてこれだけ講演とかしてて
子供は障害を持っていて
父親とはそりが合わず出ていけ!的な状態で
そしてそういう人生になったのも全て筋書きという感じの論

アガスティアの葉の話が気になっていたので
読めてよかった

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