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アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

2020年02月

ちょっと屁理屈かもしれないし、こんなことに敏感になって焦りを覚えて不安になったりするのHSPで毒子の私だけかもしれないけど、、、、

正直「今日で今月も終わりですね」って言葉は苦手です。

だって来月もあるじゃん、何の意味があるのだろう。
その前置きで「来月はこんなことに挑戦しようと思います!」的な話にはつながらない気がします。

今月はどんなだったか置いておいて、来月や未来を楽しもうという気持ちで月末を過ごしたいです。




【世間の1~3月は特にHappyな響きが無いような気がします】
世間で言うところの、「1月2月3月はあっという間~」だという事で、

1月は行く、2月は逃げる、3月は去る

と言ったりしますよね。
覚え方がわかりやすいから頭について離れないんですが、、、これってネガティブな印象を持ちます。私だけかな?


もう1月終わり~、とか世の中では言ったりするけど、
「いやいや、なにその不安感あおる感じ?毎日時間は24時間だし、2月もあるし、何ならまだまだ1年は始まったばっかりなんだけどね。。。なーにソレ?」モヤモヤ、、、って先月末も思いました。


確かに自分もそういうフレーズがしみついて、そういう言葉を使ったり、そう思ったりしました。


例えば今日は2月の最終日だから、
「今日で2月も終わりか~今月の自分をあんま大したことしなかった、出来なかった」
と自分責めをしたりしました。



【月末のとらえ方は自由、新しいひと月はもーーっといいことあるかも?】
「ひと月もう終わりだよ、なんかやったのか?」的なそういう表現じゃなくて、「今月悪いこともあったけど、良いこともあったナ」って思いたいし、

もし今月がイマイチなことがあったとしても「来月は楽しく過ごせるかもしれないよね」ってマインドで過ごせたらいいなって今日は思いました。

今はいろいろ本当にゆっくりだから、捉え様によっては月の区切りは自分責めのきっかけになりうるんだけれど、

今日は、少しだけ焦りや不安の少ない月末日を過ごせているような気がします。
お、これは自分よしよし案件だなヾ(・ω・`)



【これからの月末との付き合い方】
もう〇月も終わり、はマイナスなムードを醸すので私は口にするのも、文字にするのも、やめとこうかなって思います。

そういう事を言う人も近くにいると私はあんまりハッピーになれない、焦りと不安を覚えちゃうから距離置こうと思うな。


来月はどんなことがあるかな、ワクワクするなぁという感じで、
ひと月、ひと月をそして1年を過ごせたら、自己肯定感Upしたって思えそうな気がします。

心が複雑骨折中
と気づいた今、マイペースに日々を歩みます。




今日は毒族が出てくる夢を見ました。


【毒子の見る家族の夢】

毒子にとって毒族の夢は悪夢です。

寝ているのに、体を休めているはずなのに、ぐったりと疲れる。
起きたいのに体がだるくて、また眠りに引きずられてしまい、
年単位で会っていない毒族と再会する羽目になるという、、最悪の朝。


今のタイミングでどうしてそんな夢を見たんだろう、
家族の夢を見てこんな気持ちになる自分って嫌な奴なんじゃないか、

とか勘ぐったりして、そんな自分にまた自分不信になったりします。

家族が心のよりどころの人には絶対に分からない感覚でしょうね。



【非毒子の見る家族の夢ってこんな感じ?】

家族を夢に見たら、家族に連絡とったりするきっかけになったりするのかな?

嬉しくなったり、いい夢見たなぁって思うのかな?

芸能人で家族LINEがあるとか、日本代表戦は一緒に必ず見るとか、テレビで見たけど、、、

私にはそんな経験一回もないけど~と思った。




【毒族の悪夢を見た私はそれだけ傷ついているのね】

いつもは毒族の夢をみると、すっごい嫌な気分で、辛かった思い出がよみがえってきたり、一日どころか何日もの間、嫌な気持ちで過ごしていたけど、考えようによっては、

私は家族でこんな悪夢を見るほどに、

やはり傷ついていたんだね、辛かったね、大変だったね、いつも背伸びをしていたんだね。

もう今は毒族と暮らしていないよね。大丈夫だよ。


っていうコトの表れではないかという気持ちが湧いてきた。


世の中のどれくらいの人が家族が好きかは知らないが、家族は私にはやっぱり毒だ。

「毒族の嫌な夢を見た日は、いつも以上に今をもっと大切に、傷ついている自分を労わる日にしてあげたい。」


そういう風に思ったら、
毒族の悪夢は、自分に優しくする一日のスタートに思えた。

生活をするための仕事をライスワークというようだ、「これは一本とられました!」と思った。

私は仕事に夢と希望を持ちたい人で、仕事をライフワーク、生きがいにしたかった。

でもね、

振り返ると私にとっての仕事は ”焦りと不安のライスワーク” だったと思う。

また働くなら、これからは ”ただのライスワーク” として気持ちを使いすぎず取り組めたらいいなと思う。もちろん、もし、”自分の心身に無理のないライフワーク” があれば一番いい。


【お給料はストレスの代償】
お給料はストレスの代償だと、仕事を始めて2年目の私は思ってた。
その思いは払拭されることはなく、今に至る。
「仕事は辛いものだけど、しょうがないそういうものだ」って思ってる。


実際の毎日の仕事では人の目が気になったり、我慢したり、断れなかったりいい子のフリしたりがやめられない。
失敗するのが怖くて、自己犠牲で苦手をひたすら補ったり、、、休みの日も心から休まらなかった。仕事がうまくいっていなかったら、休みの日に休むのはいけないとまで思っていた。



【本音はもっと仕事を楽しみたい】
だけど、心の底ではね、本当はね、楽しく働きたいと思っている。
「転職の度に今度こそは」って思ってきた。

得意な事でお金を稼いで、専門性が磨け、人に感謝される仕事がしたいと思ってきた。


【仕事がストレス要因だから辞めたら楽になる?  いいえ、葛藤は続く】
仕事を辞めたからといってすぐのんびり、今を楽しく生きれるかと言ったら全然そうじゃなかった。

私の根底に、

「毒家から出るために、働かなきゃ、お金は価値だ」

という考えが相当しっかり根を張ってて、歯を食いしばって生きてきた。

だんだん自分がボロボロになって、自己犠牲の上に日々のご飯があるからだんだん食事も美味しくなくなった。




【今まで:自分自身 << 仕事・お金】
自分自身よりも、仕事やお金を大事にしてた。

毒家での生活から、元々の自分に価値がないと思い込んでいるので、

自分自身の価値=働いている事、年収 のように思っていた。

だけど、仕事よりもお金よりも、自分が大事なのかもね。


【これからは少し 自分自身 > 仕事・お金】
仕事やお金よりも自分自身を大切にしていいと少しだけ思えるようになってきた。

自分が焦らずに安心して取り組める仕事があれば、やってみるのもいいのかもと思う。

正直、また働きたいと心から思えるかわからない。

もう、”ライス”ワークは、出来たらしたくない。

でも”ライフ”ワークでお金が儲かるってーのもまたそんな簡単なことじゃないのかもしれない。

割り切りで”ライス”ワークをするなら、あまり気持ちを入れないようにしよう。

所詮”ライス”ワークだ、気持ちを、体力をできるだけかけないで消化しよう。




「”ライフ” ワークでも”ライス” ワークでも、ワークは私のすべてじゃない」

「働いてない私もOK!堂々としていいよ」と言ってあげたい。

私は、仕事を辞めてから2、3ヶ月くらいして、自分の持ち物の見直しを始めました。
(それまでは精神的にも体調的にもぐったりでした)

今までの約半年間の服の断捨離について少し振り返ります。

いざ見てみたら、あーら大変、持っている服の殆どが、心から着たくて買った服じゃありませんでした。

なので大幅に断捨離しました。

私が持っていたのは仕事に着ていける服がほとんどで、着なくても、持ってるだけで嫌なことを思い出す服ばかりでした。

嫌な気持ちになる服は、完璧にゼロではありませんがかなり減りました。

これどうしよう、また着るかも、いや着ないかも??でももったいないなぁ。

など、思う時間が減ったのはだいぶ幸せなんだろうなと思います。


処分対象となった服

【着ると仕事ができそうに見える服】
(見た目は大事ですが、女性で小柄であるという外見的なハンデと、自分に自信がないのを補強するために、出来そうに見える服を研究して買ってたような気がしました、、)


【合わせやすそうだからとりあえず買った服】
(シンプルだから、あると便利と思っても、着るシーンがイメージできないものは結局着ません)


【流行りのものだから試しに買った服】
(あまり考えなしに買い物に行って、なんとなく、何か買おうとも思って買った服はさして着こなせない、流行りの要素を少し入れたいと思って買った数千円の服はクローゼットで場所を取るだけ)



正直オフィスで着れるような服はほとんどなくなりました。

もし今後会社勤めをすることがあっても、無理して働いていた頃の服を着たくないなぁと思うので、これで良かったと思います。


【処分方法】
フリマアプリ、トレファク、H&M、資源ゴミのいずれかで処分しました。



フリマアプリが1番お金が手元に残りますが、憎しみが強い服などは、写真撮影やサイズの計測さえも不快、すぐ売れなくて何度もアプリで写真を見返すのも嫌で、すぐ手放したりもしました。



【仕事着を断捨離して思うこと】
できるだけストレスがなくなるように処分できてよかったです。


実際に服がなくなっても、働くことについて考える事は大いにあるのですが、

見なければ、シンプルに思い出すトリガーが減るというのはあるので。


よくできました、自分。


私が毒親、機能不全家族といった言葉を知ったのと同じくらいの時期に、”エナジーバンパイヤ”に関する投稿を各種SNSで見る機会がありました。

エナジーバンパイヤとは、会社や友人関係等で、関わると元気が吸い取られる人のことを言うらしいです。

ふむふむ、、、たーしかに、そういう人いっぱいいるなぁ。



ふぁ!わかったぞ!

「毒親ってもれなくエナジーバンパイヤじゃないかしら?」

そう思ったら、距離をあける事をさらに正当化できる気がしました。



父親:
威圧的で否定的な言動と、一方的な大声での話ぶりで相手にするとすごく疲れる。
こちらの話を聞かないので会話が成り立たない。


母親:
おどおどしていて、自信がなさげ、笑顔がなく、自分の身だしなみに気を使わない。
話すと夫に馬鹿にされるばかりだからか、自分の意見、思っていることを話さず、私とも会話がほとんど続かない。




私は自分が毒子と気付く前から、公にはタブーっぽいので言っていませんでしたが「こんな人たちにはなりたくない!」という思いを抱いていました。

両親は、時々会ったり話したりすると、やはり幻滅し、ちょっと普通じゃないなぁと思うことばかりです。

だけども悲しいかな、親子だからふとした時にとても似ていたりします。
親子だから私も結局はこうなってしまうんじゃないかという根拠のない恐れを抱かせる存在です。
(本当に根拠はないんだけど、、”そうならないってハッキリ言いきれない怖さ”があるんです、、)




エナジーバンパイヤの対策は、関わらなくてもいい人ならば”無視”だそうです。

親子だからといって、一緒にいると自分がどんどんダメになる、なけなしのやる気も、希望も、失うような人と今更仲よくしようとしたり、すり寄る必要もないと思います。

今は特にエナジー枯渇しているから、”自分の幸せ最優先”で行こう。





【私のしたいこと】
毒親エナジーバンパイヤにかける時間や気持ちよりも、
なりたい自分に近い人や好きなモノや事に接する時間を長くして、心から楽しい時間を増やしたい。


自分を認めて焦らずに安心して暮らしたい。


過去が思い出されて悲しくて仕方なくなる時も少なくない上に、
そもそも、本当は自分が何が好きがわからなくなってきたので、そこからですが。。。


【自分への宣言】
変に心配したり、気を回したり、連絡とることも、する必要はもうありません。

1回もプラスに働かなかったし、関係するとマイナスになることしかないのだから。

あの人たちもあの人たちなりに楽しくやっているだろうから、万事それでOKよ!




毒父は水道電気ガス異常にうるさかったなぁ

電気水道ガスなしに生活は成り立たないが、毒家では常に監視されている気分で、家は安心安全の場所ではなく、いつ怒鳴られるかわからない場所だったな。

「あぁ、だからか、今でも日常生活で緊張感が抜けないのは、未だに今の家でだって心からリラックスできないのは」

そういうことに気付いたヨ、というお話と今後の自分なりの対策についてです。


【毒家での日常】
電気水道ガスについて毒父は激しくケチだった。俺の金だから。
(え、俺の金は大切で、俺の家族はどうでもいいの?と今は思うけれど、、)

ちょっとでも人がいないところの電気がついていれば怒鳴り散らし
(怒鳴ることでしか、人を動かすすべを知らないのかな・・・)

少しでも水がしっかり止まってなければ家中に響き渡る声でがなり
(人を動かすときはその行動による相手のメリットをわかりやすく伝えたほうがいいよね、不快感しか生まれず、反省する気も起きなかった)

母は寒い冬の日も風呂の残り湯で風呂場で、荒れた手で洗濯物を手洗いをして過ごしていた。
(きっと体が冷えて辛かっただろうな)

寒い冬の日でも、母がお湯を出して家事をすれば給湯ランプの点灯に目ざとく気づき大声をあげた。
(水道代にうるさいから、米のとぎ汁で食器洗ったりしてたなぁ)

冬も夏もエアコンはあっても使われることがなくコンセントが抜かれている。
(散らかった居間に使われることのないコンセントをぶら下げたエアコンは何とも言えない異様な雰囲気だ)

石油ストーブを朝と夕方かな?時々使っていたが、家全体が温かくなることはなかった。
(私の場合「暖かい家庭」は、雰囲気的にも実際の気温をみても、リアルにはあまり存在してなかったかもネ)



【私の今の日常】
つい最近、今でも水道ガス電気を使うことに無意識の罪悪感を感じていると気づいた。

光熱費を払うのはあの毒父でなくなってもう10年以上たつのに、、、きっと怒鳴られるのが嫌だからと癖になった生活習慣、染みついた支配が恐ろしい。

例えば、

電気:
誰もいない空間に電気がついていると「すぐ消さないと!」という気持ちが止められない。夫にも驚かれるほどの素早さで、彼が使っていた部屋や洗面所、玄関の電気を消して回る。

寒くても暑くてもエアコンを使うことに抵抗感が強く我慢しがち。

水:
食器洗いは少なめの水でこまめに止めながら行う。
シャワーや歯磨きなどは、ちょっとでもすぐ水を止める。
お風呂の残り湯を洗濯に使うなど、ただ水を流して捨てることへの抵抗感が強い

ガス:
これに関してはあんまり思いつかなかった。。。



【毒家の現状】
最後に訪れたのは2015年だったがおそらく良くなることはないだろう。

どんな猛暑で「熱中症の危険があるのでエアコン使うように」とテレビが言っても、エアコンは使われず、相変わらずコンセントが抜かれている。きぇー。。


真冬の寒い日でも、限られた時間のみ石油ストーブをたき、それ以外はこたつがあるだけなので家中シンと冷えていて、過去、冬場に毒家を訪れたときなど、体が芯から冷えて足先が痛かった

電気代出してあげるから、夏のクーラーや冬の暖房を入れるように言っても聞かなかった。母親につらいだろうといっても、大丈夫の一点張り

だから真夏や真冬、毒家に毒父と住む残りの家族を思ってはゾッとし、心配していた。



【解毒のための対策】
気:消さなきゃと思って気持ち悪くても、気にしない練習
道:シャワーは止めなきゃと思わず、ぞんぶんに浴びるチャレンジ
   食器洗いや歯磨きも、行き過ぎた節水意識を減らしてみる。

毒家の人々について:
あそこでは、住民の快適さや健康よりも、光熱費が大切。

光熱費を使うことが絶対悪
のように刷り込まれている。

そこに好んで生活している人たちのことを私がいくら心配しても何も変わらなかったし、これからも変わらないだろう。

あの人たちにはあの人たちの人生、私には私の人生がある。


【今の私に必要なこと】
毒家とは境界線を引いて自分の幸せ集中する。




毒子でHSPの私は失業保険を120日間マックス申請しました(10年以上の雇用保険の加入期間がありました、1年以上であれば90日間だそうです)。

今日の申請で終わりで、1週間くらい?で振り込みがあるはずです。



毒親に経済的なマウントとられながら生活した経験から、長年に渡り

「正社員で上を目指してバリバリ働くが絶対的正解」

で生きてきたので、失業保険を申請するのは心理的に大きなハードルがありました。



そんな私の経験を振り返ります。結論から言うと私の住んでいる地域のハローワークは怖くなかったし、無職であることを責められたりということはなかったです。
なんなら、私を最も責めてきたは私自身だと思います。


【失業状態の毒子はこんな感じでした】
働いていない自分を認めるのがとてもつらくて泣きました。
もう働き続けるのは無理だったのにね、、、

最初に申し込みに行く日も、いやでたまらなく子供みたいと思いながら「どうしても嫌だったら家に戻ってくる」と嫌々家を出ました。

そもそも、自分に自信のなくなった私は手続きがちゃんとできるだろうかと、とても不安で仕方なかったです。



【失業保険に関する前情報】
「やめたら失業保険もらったらうんだよ~、自分ももらってたよ~」と前職の人の助言もあり、過去の職場メンバーも何人もの人が、もらってた時期があると笑ってました。

それでも自分の中で、恐怖や恥だという気持ちがぬぐいされませんでした。



【実際にハローワークに行く前と行ってみて】
事前にインターネットでたくさん情報を集めて知識武装すればするほど、微妙に書いてあることが違ったりして頭がこんがらがって余計怖くなりました。
(全部の仕組みが今でもわかっていないけど、手続きは完了できた~)

申し込みに行ったら退職理由を聞かれるのが怖くてたまらなかった。
(実際はハローワークはとても混んでて何も聞かれなかったけど)

失業=社会の落伍者の扱いで、早く再就職するようにせっつかれるんじゃないかとビクビクした。
(リストラにあったおじさんとかがたくさんいるどよーんとした場所のように思っていたけど、行ったら年齢の近い人もたくさん待合の椅子に堂々と座ってたし、絶望的な雰囲気でもなんでもなく、システマチックに諸々の手続きができた)

就職活動の一環でハロワの就職相談を利用しようと思っていたけど、そこでダメ出しされたり、無職の期間があると不利とか詰められるんじゃないかと思ってた。
(毎回窓口の人は違ったし人によって合う合わないはあったけど、優しい人もいてさして嫌な思いもしなかった)


【HSPの私の求職活動実績の作り方】
4週間に1回の失業保険の申請の間に2回の求職活動が必要です。

私は心身の状況からフルタイムで働ける気もしなく、よもや自分に合っている働き方なんてわからなくなってしまっていた。

今までの働くことについての価値観は、今の私に当てはまらないことだけはわかっていたから。

つまり、働きたい気持ちは大いにあるが、どの方向に進むのが自分に合った働き方かわからないという状況でした。

今まで利用してきた転職エージェントさんは要するに営業マン的要素が強く感じるので、今回はお声がけしていません、どんどん連絡が来て、再就職をプッシュされるのが怖かった。

そんな状況だったので、1)、2)を行って働くことと自分を見つめなおしました。

1)公共機関主催のセミナーに参加
ハローワークにおいてあるリーフレットの就職セミナーに参加した。
自分を大切にする働き方や適職の見つけ方など、求職者に寄り添ったセミナーで、周りの方とのグループワークも新鮮な発見があり、実りのある時間でした。

2)ハローワークでの職業相談
失業保険の申請に行った帰りにハローワークの求人検索用PCで、家の近くのお仕事を見つけて、相談しました。今の自分の状況を話すと、「じっくり考えてもいい」と言ってくださった方もおられました。その方は年齢を重ねた女性の方でご自身のキャリア背景や家庭の介護の事情なども話してくださり、とても印象深い方でした。


【私の場合失業保険の期間が終わっても、自分に合う働き方は見つかりませんでした】
私の場合3か月の給付制限の間、実際の給付期間を経ても、今の自分に合う働き方が見つかりませんでした。

今は焦ってフルタイムの仕事に、”自分を偽って大きく見せて就職活動”をするよりも、

短期で家の近くの派遣があればチャレンジしてみるといった、スモールステップが私には無理が無いように思います。

本音では今までもらっていたお給料を考えると、気が進まない気持ちもありますが、もう少し気楽に働く、働くこと自体を楽しむというのの実験として。


”無理をしない自分に合う働き方”って何なんだろうなぁって思います。



キャリアの積み方って、社会的立場って、幸せに生きるって、、何だろう?

という疑問に対する私の答えは、イマイチまだすっきりしません。

焦る気持ちももちろんありますが、まずは今の自分を否定せずに日々を暮らして見つけていければいいなぁと思います。




毒父が話しかけてくる妻、子供に対して、よく言うセリフは、

「うるせぇ!」「知るか!」「勝手にしろ!」「めんどくせぇ!」が代表格だったなぁって思いだしました。お酒も入っていないのに。

「でもそれっておかしいなぁ」と思い返したお話、と私の今後のことについて書きました。



<以前の私>
私はずーっとそんな人に期待して、好かれたいと思っていました。
そんな態度をとられるなんて私はよっぽど親の期待にそぐわない子供なのかも?おかしいなぁ私そんなにほかの家の子と違うの?と、自分を責めたりもしました。

だってどんな親だって本当は子供がかわいいって聞いたし、、、




<今の私>
毒親や機能不全家族の情報に触れるにつれて、少し目が覚めつつある、半覚醒状態です。

「うぇ、ちょ、ちょっとまって、、、人に話しかけられて、はたまた子供が相談してきたときにそんな返しをする人ってどうなのかな」「やべー性格の悪さじゃない?」

毒父がそんな奴だから近づくたびに嫌な思いをしてたんだね。
だって私のことを考えていたら、話を聞くよね。大事だったら困ったときに「知るか、めんどくせぇ、勝手にしろ」なんて言わないよね。

そろそろ彼にとって家族は大事な存在じゃなかったことを認めないとね。
やっぱり私が感じていた通りお荷物で迷惑な存在だったのかも。



<今の葛藤>
正直やさしい父親の像をどこかに探したい気持ちはどうしてもなかなか手放せません。
でも優しくされなかったからと言って私に価値がないわけでもないのかもしれません。

親というレッテルを外して一人の大人として言動を振り返ると、自己中心的な性格の悪いヤバい人なんだと思わざるを得ない面が大いにあります。

私が私を認めてあげられないのは、どんなに頑張っても頑張っても足りない、満足できないのは日常的に存在を否定され続けたからなんだろうなって、思います。

今思うと、10代の私も20代の私もとても健気でそしてかわいそうでしたね、、、



<どうしようか?>
毒家には引き続き近づかない
(精神がえぐれるだけ、嫌なこと思い出し、嫌な思い出を増やすだけ)

父の日・母の日・敬老の日などは何もしない
家族っていいよねぇマーケティングにのせられない、そういうものから目を背ける。自分を責めないためにモノを買ったりしていたけど、これ以上何もする必要ない)

自分で自分を大事にしてあげる練習をする
(つらかった気持ちを「つらかったね」認めてあげる、頑張ったことを「頑張ったね!」と思ってあげる、楽しいと感じることに意識を向けて「楽しい」の頻度を上げてあげる)



そろそろ、「私は十分いい子だった」と自分を認めてあげたいです。




HSPで自分責めが強い私は、「自分に優しくする方法っていってもわからないよぉぅ」と思っていたけど、もしかしたらコーヒーを控えると自分に優しいかもしれないと思った話です。

<以前の私>
私は仕事中よくコーヒーを飲んでいました。
朝、午後の食後の眠気が来るとき、夕方、と1日3回くらい?かもっとです。

忙しくて集中力が必要な時や、ちょっと休憩がてらに飲んでいたのはコーヒーでした。

「コーヒー買ってきます」っていうと「仕事にやる気あります、気合入れてきます!」という宣言のように感じるのは私だけでしょうか?

なんかそう言って席を立つ人が周りに多くて、「その言い方ちょっとかっこいいやん」とまで思っていましたw。

今振り返るとコーヒーを飲むと神経が高ぶって気持ちが余計焦ったり、焦っては落ち着く為にまたコーヒーを飲んだりカフェオレを飲んだりしていました。

飲みすぎで頭痛や胃痛がしたりもしていましたが、体調が落ち着くとまたコーヒーを飲んでいました。

当時の私は、職場を離れても職場貸与の携帯でメールが見れ、海外関連のやり取りもあったため寝る直前まで仕事のメールを見たり、朝も起きて一番にメールチェックしたり、土日も仕事のことを考えて神経を張り詰めていました。

その上コーヒーを常用していたので更に神経が高ぶり、焦って落ち着いて対処できなくなっていたのではないかなと、最近思ってきました。




<2020年2月の私>
コーヒー類を飲むと動悸がしたり、焦りが増える気がして、2020年2月に入ってほとんど飲まなくなりました。

息抜きに飲んでいたコーヒーやカフェラテが無いほうが、かえって少し精神的に穏やかに過ごせている気がします。

私はすぐに自分を責める癖があるのですが、その癖自体にも、自分の気持ちや、蓋をしていた過去の感情に少し意識が向けられるようになった気がします。


そう考えると、私はコーヒーを飲まないほうが自分には優しいのかもしれないと思います。



<もしも仕事を再開しても>
仕事中に疲れたからといってコーヒーに頼って自分の気持ちを無理に奮い立たせることはしたくないと思います。

疲れたら、「頑張ったんだね、一休みする?」って自分に思ってあげたいです。

世の中にはいろいろなご病気等で日常生活が送れない方がいらっしゃいます。
身体的に、精神的に、様々だなと思います。


そんな方の参考になるかはわかりませんが私の事例を紹介します。



出来てたことが今はできない怖さ

今の私は、正直、
ゆっくり動作です。
複雑なことを考えるのがとても辛いです。

(※私の場合2019年に毒親育ちと気づいたこと、仕事で無理を重ねすぎ退職した事が影響しています。)

複数の事を並行に処理するのはとても困難です。
働いてもいませんし、外出をとてもプレッシャーに思うことがほとんどです。
日常生活も以前ほどできないなぁと思うことが多いです。


いつも今と昔を比べてました

今と昔は違うのに、今と昔を比べて、がっかりしたり、余計気分が落ちたりしてました。

テレビやSNSやネットをみては、自分と比べたりすることも少なくありません。

でも、

今の私ができた事ひとつひとつに、
それが子供でも誰でも簡単にできる事でも、
よくできたって思ってあげてもいいかなって、
少しだけ思える時が出てきました。
(これが結構難しいのですが、、、)



悩むのは、前に進みたいと思っている証
ネガティブはポジティブととても近いかな?

悩みは尽きませんが、でもまだ生きちゃってるので今の自分を受け入れつつ暮らしたいと思っています。

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