自分の生きづらさを何とかできないかなともがく中で
先日勇気を出してカウンセリングを受けてみたのですが、効果がよくわかりませんでした。
私自身、苦しい、という気持ちが強く、専門の人なら助けてくれると期待していたので、少し拍子抜けしたというか、え?カウンセリングってこんなもんなの?と思ったのです
それでこの本を読んでみようと思いました
最も心に残ったのは、カウンセリング事例3の自分の弱みとの共存の部分です。
不安神経症の会社経営者の方が、複数回のカウンセリングの中で、「この不安神経症が無かったらどうなっていたと思いますか?」と質問されて、「もっと傲慢な人間になっていたと思います」 と答えた事例です。
HSPさんはカウンセリングを検討されている方もいると思うので、読んでみられてもいいかもしれないです。
ということでHSPでアダルトチルドレンの私の読書記録です。
よく考えたらそういうところで行うカウンセリングは自社製品やサービスを買ってもらうためのセールスをカウンセリングと呼んでいるに過ぎないなと思った
メンタルカウンセリングは、そうした売るべき商品がないので、達成度が見えにくいんだと思う
問題解決のために具体的な考え方とかを、アドバイスしてもらえるかと思っていたけど、1回のカウンセリングでそこまで行く事はないのかもしれない
どちらかというと、カウンセリングは気持ちの整理や自分の向かいたい方向を見定めるための時間の一種なのかもしれないと思った
例えば、私が心のわだかまりが取れれば、私の旦那もハッピーになれると思う。
車の保険はほぼみんなが入っているけどそれは、払いっぱなしの人もいる。
安心料としてお金を払うというもの。
これと近い考え方だと書いてあった。
カウンセリングは問題が起きたときに、問題が小さなうちに整理するための方法の”ひとつ”なのかもしれない。
(私はすっかり問題が大きくなってしまったけどもっと早く取り組めてたらもっとよかったのかも?)
だけど、
失敗した時にその人のせいにする自分がいるかもしれない
人に判断をゆだねてうまくいった時、その人に依存するだろう
その人がいないと駄目な人になる、だから、自分で決めるというプロセスが必要なんだと思う
カウンセリング自体は、自分との対話の方法のひとつのような感じもする
誰かに話すという前提で問題を整理するので、そこがいいかもしれない
もうちょっと取り組んでみたい
先日勇気を出してカウンセリングを受けてみたのですが、効果がよくわかりませんでした。
私自身、苦しい、という気持ちが強く、専門の人なら助けてくれると期待していたので、少し拍子抜けしたというか、え?カウンセリングってこんなもんなの?と思ったのです
それでこの本を読んでみようと思いました
最も心に残ったのは、カウンセリング事例3の自分の弱みとの共存の部分です。
不安神経症の会社経営者の方が、複数回のカウンセリングの中で、「この不安神経症が無かったらどうなっていたと思いますか?」と質問されて、「もっと傲慢な人間になっていたと思います」 と答えた事例です。
HSPさんはカウンセリングを検討されている方もいると思うので、読んでみられてもいいかもしれないです。
ということでHSPでアダルトチルドレンの私の読書記録です。
目に付いたこと
効果がわかりにくい美容関係のサロンや化粧品のカウンター、各種スクールで行われているカウンセリングと違うなと思った
効果的ではない緩やかさという特徴が理解されない
よく考えたらそういうところで行うカウンセリングは自社製品やサービスを買ってもらうためのセールスをカウンセリングと呼んでいるに過ぎないなと思った
メンタルカウンセリングは、そうした売るべき商品がないので、達成度が見えにくいんだと思う
基本的に心理カウンセラーの行うことは、そうした問題で苦しんでいるクライエントの心に働きかけることなのです。
決して問題そのものにはたらきかけることではありません。
問題解決のために具体的な考え方とかを、アドバイスしてもらえるかと思っていたけど、1回のカウンセリングでそこまで行く事はないのかもしれない
どちらかというと、カウンセリングは気持ちの整理や自分の向かいたい方向を見定めるための時間の一種なのかもしれないと思った
カウンセリングとは、それ自体が世の中の基準からすれば非常に非効率的な仕事なのです。カウンセリングとは自分自身と、そのすぐ周りにいる人の為にする事なのかもと思った
しかし、ある一人の人がカウンセリングによって癒されたり、立ち直ったりすることがその周囲に及ぼす影響というものがあります。それは数字に表れるものではありません。
例えば、私が心のわだかまりが取れれば、私の旦那もハッピーになれると思う。
車の保険はほぼみんなが入っているけどそれは、払いっぱなしの人もいる。
安心料としてお金を払うというもの。
これと近い考え方だと書いてあった。
カウンセリングは問題が起きたときに、問題が小さなうちに整理するための方法の”ひとつ”なのかもしれない。
(私はすっかり問題が大きくなってしまったけどもっと早く取り組めてたらもっとよかったのかも?)
何を正解にするかは自分で決める、だけど助けを求めることは必要
人に判断をゆだねるというのは楽だ、だけど、
失敗した時にその人のせいにする自分がいるかもしれない
人に判断をゆだねてうまくいった時、その人に依存するだろう
その人がいないと駄目な人になる、だから、自分で決めるというプロセスが必要なんだと思う
カウンセリング自体は、自分との対話の方法のひとつのような感じもする
誰かに話すという前提で問題を整理するので、そこがいいかもしれない
もうちょっと取り組んでみたい