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アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

2024年10月

私は仕事でオーバーバーン気味になることが多かった

学生時代のアルバイトは大変でも楽しくできたのに

なんで卒業後の仕事では

こんなに苦しくなることが多いのか

不思議だった


ある日分かったことは

私にとって仕事は復讐で逃亡手段だったということ

私を価値のない人間のように扱った両親へ

復習するタメに、給与の良い仕事に吸い寄せられた

仕事を頑張ることで、私には価値があると思いたかった

だから無理して、頑張っていた

恐れからきているので苦しかった

年収が高ければ高いほど

父の支配から遠く逃れられ

奴隷のような

経済支配を受けた母の様な

人生を送らなくてよく

バカにされ、虐げられることもないと思った




だから打算で仕事を選んでいた

恐れから働きすぎていた




これからは失ってしまった心の豊かさを

意識して過ごしていきたい


会話が成立しなかった祖母



子供の頃から父方の祖母とは
会話が全然噛み合わなかった


一方母方の祖母とは
子供の頃から話が盛り上がる

ふと何が違いなのだろうか?と思った

歳?耳の聞こえ?
確かに父方の祖母は耳が悪そうだったけど
私が小学生の頃から会話できなかった
おそらく祖母は70歳くらいか?


地元の訛りがひどすぎて私が
聞き取れなかったからか?

いや違う、わたしは郷里の言葉はかなり堪能で
今でも郷里の人と会えばバリバリだ

シンプルに会話ができない人だったと思われる

こちらの話は聞いてないで
言葉を紡ぐ人だった

電話で話すのも
直接会って話すのも
苦痛だった

脈絡のない話ばかり
こちらの返しがなんであろうと
関係ない話の展開に疲れ果てるが
親戚は久々に顔出したんだから等
話すろうに強要する


そんな調子だから
父方の祖母と話すのは嫌だったし
会うのも楽しく無くて嫌だった


でもね、よく考えたら父も一緒だ
あの祖母にして息子であるあの父なのだ


父の素行に悩まされた時
お父さんはあなたが生まれる前からその性格で
生きてこられたんだと思いますよ

と言われたことがあったが

今祖母を振り返り、あの祖母にしてあの父なのね 

これからも会話が成り立つこともないだろうな

と何か霧が晴れた様な気がした

機能不全は連鎖する

人との会話の仕方も

無意識的に似てしまうのだろう





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