毒親発作、毒親に関連することで発作的に精神に負荷がかかり、気分の切り替えもできず、生活に影響が出ること。

と、今回のことで定義づけたいと思いました。
今回の記事は毒親関連でお見苦しい文章と思いますが、ある毒親育ちのリアルでもあります。


精神的にちょっと受け入れ難い、という方はここで回れ右をしてください。


また別の記事でお役に立てたら嬉しいです。

毒親発作:インナーチャイルドの暴走

2020.8.28-夜〜8.29のかけて激しい毒親発作に見舞われた。

(記事を書いている2020/08/31も未だ日課にしているエクササイズもする気が起きず、家事もそぞろだ)

その時のことを整理しよう、将来の自分が、幸せに暮らしながら、その幸せもこうやって今の私の苦しみの上にあると感じてくれたらなお良い。

将来の自分が、心穏やかに過ごせてると良い。

毒親発作の原因は、毒父の長寿の祝い​​

長寿の祝いと言ったら、60歳の還暦や70歳の古希、77歳の喜寿など、節目でお祝いをすることを言う。

なんとなく去年くらいから、今年2020年の秋の誕生日で、節目を迎える父に、何かしてあげるべきか?と思っていたところ、

8月も終わりに近づき、暑さも心なしか秋めいた風味を感じるようになり、あぁ、父親に何するか、はたまた何もしないか、、

そろそろ考えなければ、とそう思ったことが発作のきっかけだった。

2020年8月28日の夜布団に入ったら、ツトツトと考えが止まらなく、堂々巡りの下降スパイラル。

夜に考え事しないほうがいいという定説はきっと正しい。

何かしなければと思っても、親の健康長寿素直に喜べない自分が受け入れがたかった

親には成長するにあたり世話になったのも事実、可愛がってもらった記憶があるのも事実(10歳前後まで)、それにもまして私の自尊心を痛く傷つけたのも事実。


それを持ってしても、何かしてあげたいと言う気持ちと、こんな節目の年くらい何かするべきではないかと言う気持ちが、ぐるぐるの、いろんな色が溶けた水彩画のバケツ水のようになり、ドドメ色の感情が、渦を巻いた。

ドドメ色のバケツで溺れかけの私は、お金を包んで送ろうか、何も連絡ないだろう。
私今働いてないし、そこまでしてやらなくても。

祝いたい気持ちというよりも、お金を送るのであれば、それと一緒に、一言文句を言ってやりたい、そんな気持ちもまだまだ私の中でくすぶっていた。

過去が今に、母が自分になったかのような気持ちになり、溺れそうな気持ちに相反して、憎しみがパチパチと音を立てはじめたかと思ったら、あっという間に大きくなった。


何度も眺めた、見覚えのある悲しい炎が眼前で揺れる。

母親の努力を認めてあげてほしい、馬鹿呼ばわりするのをやめてほしい、くだらねー、勝手にしろと家族の話を遮らずに聞いて欲しい、、。


こんな時、課題の分離やゲシュタルトの祈りなどぶっ飛んでミジンコサイズも思い浮かばずだった。

止まらない涙で塩も作れそう、天然の毒親塩 OMG...


涙が止まらなくなり、薬を飲みに起きたら旦那氏に目が腫れているのに気づかれた。


旦那氏に私がなぜ泣いているのかを話す中でもこんこんと涙は湧いて出る。

仮に親が毒親と気づき流れた涙を溜めていたら、もしや塩ができるんじゃないか?

天然の毒親塩、売れねぇな。
人体に直ちに影響が、、、出そうだ。

ふぅ、この涙はいつ枯れるのだろうか?
2019年に抑えてた感情を受け止め始めて、泣けるようになり、、1年はたった。

私だって、こんな風に家族のこと、自分の育った環境のことでずっと苦しんでいたくない。

人生なんて気分だっておもう。
気分次第、捉え方次第。


ふぅ、気にならないこと、と、気になることの境目ってなんなんだろうか、なんてことを思う。

 家族仲が良いことに渇望感が消えない


毒親育ちの特徴なのか、、家族仲が良いことに、とてつもない格別の渇望感がある。

得られないとわかっているのにわからないのだ。

自分も今からでもあわよくばワンチャンそんな風になれやしないかって期待を完全に捨て切れていない。

いくつもの解毒法を編み出しては現実を受け入れようと努力した。

毒親のリアルな素行と私が求める親の言動の乖離を認識してもなお、諦めきれない。

モノによっては諦めるって、とても難しいよね。

家族の幻想という美酒

家族の幻想に酔うのが気持ち良いから、つい気持ちよく酔う、悲しい女とは私のこと。

家族の幻想は、それはそれは気持ち良い、神経に甘く染み入るお酒なのだ。

だけど、人には薦められない、二日酔いがひどいしね。

私の家族の幻想は、別に金持ちじゃなくて、美しい見た目でもないのだけど、認めてくれて、応援してくれて、困ったら必死で助けてくれて、笑顔で迎え入れてくれて、絶対の安心感がある。

一言で言うならば、この家に生まれて良かったと思える家族。

まぁ、そんな家族はどれほどあるのかなんてわかりはしないのだけれど。
8割機能不全家族らしいからね。

現実の毒父と自分の関係と比べて、二日酔いというか、ひどいハングオーバーになる。
頭グァングァンだ。


親に長生きして欲しい、と願える幸福


親には元気で長生きして欲しいと心から願える人は幸せだと思う。

アダルトチルドレンの私は、親の元気も長生きも自分の幸せに結びつくだろうか、わからない。

いてもいなくても、心を苦しめる存在のように思う。

祝いたいと思えないのなら祝いたいと思えない育てられ方だったのだ


きっとこれが答え、もし私か誰かの目を気にして、親の長寿の祝いをしては、今までと同じストーリーラインにまんまと乗るだけだ。

本当は破綻しているのに、見せかけだけ繕って、ちょっとの変化の可能性にすがり、父の日や母の日に、プレゼントを送り、遠路顔を出しては1時間とかで飛び出していたのと同じになる。


何かすると傷が増えるのだから、勇気を持って何もしないのを選ぼう。


過去のブログなどを見て、また手書きの父の素行のメモを見て、少し落ち着いた。

何もしないのが吉と、何人かの人にアドバイスもしていただいた。

したくないことをしない、自分の心を守る、これが私の今することなんだと思う。

私ったらこうした家族イベントのたびに、心を痛める自分がいる。

私にとってはそれだけ深い傷なのだ。

親に心惑わされず自分の人生を生きたい。

追記: 2020/8/28-9/1の約4日で落ち着いてきた感覚があります。1週間くらいはかかるかなぁと思っていたので、割と早かったかもしれないけど過呼吸気味になるなど少しキツかった。