今週、私の血縁の父の70歳の誕生日があった。
70歳というのは喜寿といって長寿の祝いの年だ。

8月の末には、そのお祝いをするべきかしないべきか、、、と気分の乱れがあったものだ。
(過去記事 毒親発作)2020.8.28- 父の長寿の祝いに苦しむ )

私は毒父の誕生日何もしなかった、何もせずに何日にも及ぶ体調不良も起こさずに、この日を終える事が出来て本当に良かった。

混乱で苦しくなることも予想されたが、なーんにもせずできるだけ意識せずにその日を終える事が出来た。
なんて素晴らしい。

嫌々ながら、プレゼントを選ぶ時間もなければ、食事会を設定する事もなく、感謝されもしないのに、なんなら嫌味を拝聴するために、つまりは自分の満足の為だけに時間やお金や労力を使わない実例が出来たことが良かった。

一度できれば二度目もできるかもしれない。

私は親不孝ではないと確信している、私の親がダメ親なのだ。

歩み寄りは意味もなく、失うものばかりだった。
これでいいのだ。これでいいのだ。天才バカボンバカボンボン?

親となった人々だって、子供がかわいくて何でもしてあげたいと思う人ばかりじゃないだろうし、

年取って大事にされない親は、そういう育て方をしてきたんだと思う。

今回親の喜寿を何もしないという選択を貫き通し、そのことで自分を責めなかったのは、
親と自分が別の人間で、親を大事にする事と、自分を大事にする事を分けられてきた証かもしれない。

解毒の道は遅々としてでも少しずつ、進んでいるのかもしれない。


親子関係が悪い人へ、

親を敬えなくてもいいです、親を大事に思えなくてもいいです。
自分を尊重し、自分を大事にできればそれで合格点。

いろんな説を唱える人がいるけど自分がいいと思うものを信じたらいいし、無理しなくていい。

体面ならもうずっと大事にしてきたんじゃないか?体面よりも自分の気持ちを大切にしてみよう。