1985年生まれの大原扁理さんは、20代での隠居経験者、この方の本読むのは3冊目。

表紙はお金を大原さんが歓待している様子がゆるーい絵で描かれています(イイネ!)
お金を人と例えていることが特徴の、お金と大原さんの関係を描いた本。

いわゆるお金を増やす本、節約する本ではなく、「お金と自分の関係をみてみよ~」という本だと私は感じました。

お金と自分の関係は、イイですか?イマイチですか?



前回読んだ 年収90万円で東京ハッピーライフ 、 思い立ったら隠居週休5日の快適生活 もそうなんだけど私はこの人の考え方好きだなぁと思う事多い。

お金を追い求めて、社会的な見え方、世間体(え!)を追い求めて、自分の事を置いてけぼりにしていた私にはピッタリの本。

ということでHSPでアダルトチルドレンの私の読書記録です。


好きだなと思った表現

失敗したときに、誰かのせいにできるという誘惑は、人生を主体的に生きるということから、自分を遠ざけてしまいます。何が正しくて、何が間違っているのかを、私が背負ってあげまっせ、という人や社会が出てきたら要注意。本当にそれでいいのか、手遅れになる前に、よく考えてみる必要があります
失敗した時の原因は外部にも、自分自身にもあるだろうと思う。

世の中には、気持ち悪いほど、セオリーみたいなのはたくさんあって超絶デコラティブ、ペッカペカ。

こうすれば成功するみたいなやつ、、、。

目移りするくらいのまばゆさで自己啓発系はなくなることはなく、読んだだけで人生が好転する気分になることも。

しかもたった本1冊1500円くらいで、イージーイージー、イェイイェイ、ウォウウォウ♪

20代の私は芯が無くて芯を外に探していました、だから自己啓発本も良く買って読んでた、でも人生変わんなかった。

セミナーに通ったりもして、数千円クラスのものが多かったけど、、、それもうまくいく仕事術みたいなやつだった気が、、、

今は、人生を変えるのは自分と自分の関係と自分の周りの人の関わりだと思う

目標がないと行動してはいけないというルールはありません。
いま、そこにいるのがどうしてもつらいなら、抜け出すための立派な目標や理由をつくるより、つらさを軽減する方が先決です。
私もそう思います。

いくら前向きになろうとしても、辛い日常が変わらないなら、アリ地獄モードに入っているかも。
(動けば動くほどハマっていくってーことです)

つらさの軽減、なんならつらい事実を認める方が先決。

もがけばもがくほど、、、混乱、焦り、疲労の蓄積があるなら、潔く休む、離れる、辞めるがいい
(私は仕事も原家族関係もつらさの軽減の為に辞めました、え!)

周りの意見を参考にすることもありますが、一人で決断すべきことさえ、周りに納得してもらわないと行動できない状態になることは危険です。
こうなるともはや周りの納得が行動基準。
彼らだって人間ですから、いつも正しいとは限りません。
どちらにしても間違うかもしれないなら、自分で選ぶ方がましだと私は判断します。
はい、周りの納得が行動基準。

私の場合はそれがもっともっと行き過ぎて、自分の脳内に作った周り?世間体?の納得が行動基準。

自分らしさから、駆け足で離れていっていた、タッタカター。

きっと昔の自分はすっごくすっごく不安、不安の養殖場で不安の再生産を繰り返していたんだと思う。

「そうしないと世の中でやっていけないぞ」と脅すばかりで、「失敗しても生きていけるから大丈夫だよ」と言ってくれるような大人は、私の周りにはひとりもいませんでした。

失敗しても生きてはいける、
人を脅すばっかりの世の中と、うまい事やれなくてもいいかもネと今でこそ思い始めたぞ、ワイも。

一生を他人との比較に生きていたら生きづらさMAXになりそう、、、

「やりたいことができないのがイヤなんではなくて、やりたくないことをしなきゃいけないのがイヤだったんだな
うん、私もコレ。

日常に不快を減らして快を増やしたい。

満員電車はないわ、、、、わけわからんルールに縛られ、訳ワカメで働かない。
ストレスをまき散らしストレス粒子の漂う空間にいたくないわ。

私が自他の失敗を許し、失敗を愛せますように。
なんてきれいごとっぽいことを思う。

私はシェアメイトを満足させるために生きているわけじゃありません。
私も世間体を満たすために生きているんじゃないなっておもった。
私は私の満足を一番大切に生きていたい。

自己中心的な意味もあるし、満足している人の周りのオーラってあったかいから、私もあったかいオーラを出したいなって気持ちでもある。


お金に好かれているのとお金を持っているのは違うのかも

告白しちゃうと、お金の正体がよくわかんない。

多分わかっていない人の方が世の中のマジョリティーなんだと思う。

働くなかで、打算がどんどん大きく育った。

損得勘定が強くなった。

お金を持っていても、稼いでいても、私は幸せを感じなくなっていった。

自分で選んだ仕事なのに、やっていて楽しくなかった。
お金を重視した、世間体を重視した、誰かより上に立ちたい気持ちでの仕事選びだった。
大元をただせば原家族から離れるために働いてきた。


この本の中で、大原さんが30万の大島紬の着物を買ったくだりに私は強く共感した。

イライラしながら稼いだお金で買ったものって気持ちよくないってそんな話。

お金をたくさん持っている人が幸せかというとそうでもないっぽい。
お金があるばっかりに不幸になる人もいる。
物質的には満たされてるだろうけれど、心の豊かさって見た目に見えないのだろう。

多くなくても、お金に好かれた自分好きがいいのかも。
まぁ多くたってかまわないけれど、お金に来てもらうときの自分を自分が好きでいたい。

2020年10月のお金の失敗が教えるモノ

2020年10月、私は退職後の健康保険料と年金の勘違いから100万ほど無駄なお金を払ったことが分かった。(詳細はコチラ) 

今まで節約メインで生きてきた私にとって100万って超絶大金。

なんで?なんで?ってすっごく思った。


これってお金をためて、ギュッと握りしめてばかりじゃなくて、これからは使い方を変えてみたら?という事なのかもとも思った。

お金も道具、使わなければ、一か所にとどまっていては誰も幸せにならないのかもしれない。

自分が幸せになるために、気持ちいい使い方をしてみたい。

そう、お金に来てもらうときも、さよならするときも幸せな気分でいたいや。


そんな気持ちになりました。

お金を人みたいに思うと、嫌な気持ちで働いていたころのお金を、嫌な思い嫌な時間が変化したもののように、嫌だななんて思ったりもしていました。

そんな風にお金に思っていたからお金は100万円くらい、「そんな風に思っているんなら、私のところには居たくない、他の人のところに行きます!」って出て行ってしまったのかも?

けれど、嫌な思いをしていたころの私も、一生懸命だった大事な私。

その頃に稼いだお金も大事にしようかなって、その頃の私も認めようかなって思ったりもしました。