selectively_slow

アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

少しでも解毒チャレンジ

私はよく性描写のあるマンガを読んでいた時期がある

少し視点を引いて見れば、ワンパターンな展開なのに

飽きずに読んでいた

そういうストーリーに何を見ていたのだろう



AVも買ったり自分で借りたりはしないけれど

無料サンプルをひたすら見ていた頃がある





性描写のあるマンガは

必要とされているのが

羨ましかったんだろうな~と思う



AVも関心を寄せられ求められるのが

私の心をひきつけたのかなと思う


肉体的にでも行為の中においては

絶対的に必要とされている

幸福そうに見えた
 

無感覚・無感情ではない感じが

まぶしかったのかなと思う




またはただの若さからか

愛情や関心を得たいがために
着飾ったりはしなかった

自分の女性的な魅力を異性に
アピールすることもしなかった

けれど私はポルノ描写に
釘付けだった

子供の頃から家庭環境の中で
ポルノマンガやポルノ表現にさらされていたため
脳がおかしくなっていたのかもしれない

性的虐待には子供の発達に不適切な性的描写を

見せることも含まれる

これはR指定などを見ても明らかなはず





私が育った家庭環境では

駅のキオスクで売っているようなタブロイド紙や

女性の裸のグラビアが掲載されているような

週刊誌がいくらでも家の中に散乱していた

父が買って読み散らかしていたのだ




タブロイド紙には風俗嬢のコラムや

エッチなマンガが載っていたし

子供には良い影響はなかったと思う


その影響か?と思われる行動を

子供の頃の私は取っていたと振り返る



子どもへの影響を考えれば

そういう不適切な情報は

子供の手の届かないところに

置いておくべきだったのではないかと思うが

そういう配慮は出来ないとっちゃん坊やの父と

その父の言いなりになるしかない母の夫婦では

どうしようもなかったんだろう


しかし、下の子の出産時など

祖母が一緒に生活していた頃もあったので

そういうタイミングで是正できなかったものか?

とも思わなくもない

注意してもまた元に戻っていたのかもしれないが




気まぐれ育児

雛飾りや兜、誕生日やクリスマスなど 

子どもの行事をやってくれたことで

保護者として適切な環境を保てなかった事は

チャラにはならない

機能不全家族に育った私は

父の日、母の日があまり好きでない

何をしても強欲で心無い父

何をしても無反応な母


年取って丸くなって

ありがとうの一言でも聞きたかった


父の日や母の日は

家族っていいよねーみたいな

家族ポルノの一種の気がして

好きじゃなかった



でも、世の中には良い家族関係の人もいて

父の日や母の日に

あらためて家族のありがたみを

感じるんだろうなということが

今までよりも実在の出来事として

ありのままに認識できた

2023年の手帳を処分しようと

2年後の今

2025年にざっと見返していた

気になった点は

①生理に伴う心身の不調

2023年の前半はまだ生理を止めていなくて

生理前後に感情の落ち込みが酷かった

特に2月は食欲の爆発や不安感をメモしている

今は2023年6月22日よりジェノゲストを飲んでいるおかげか?

気分の落ち込みで苦しむことがかなり減っていると思う

②悪夢・寝汗に悩まされていた
1~3月梅雨の6月は悪夢に悩まされたり

寝汗びっしょりの日があった

今はトラウマケアが進んでいることもあるからか

ほとんど悪夢を見なくなって快適

なぜか睡眠の質は以前の悪夢を見ていたころの方が

良かったようだ

③無理に手帳術を頑張っていた
可愛くしようとしたり、スペースの多い手帳を
使いこなさなくては!と強迫観念的に
頑張っていた感じがすごくする

2025年は薄型の小さな手帳にして
書くスペースが少なくなったから
その点はすごく楽になった

手帳小さ目+書き出しノートの方が
私にはバランスが良さそう

④2年前と比べて変わった事
前より生きやすくなっていると感じる
このころ頑張っていたことがだんだん
身についてきたりしたんだと思う

色々自分を良くするために
色々病院行ってみたり、ハリ治療してみたり
心理学の講座受講したり
リソースを使ってきた自分が
手帳の振り返りから見てとれた


自分に対して感謝の気持ちを持てた

ACだからだと思うけど
周りの人のなにげない話が傷つくって話です


私がして欲しかったことを
当たり前のようにしたり
してもらってるのを
見聞きする環境にいると

私の中にいる昔の私が反応するなと思う



今回は社会をにぎわせている某テレビ局の問題で

ある方が

「もし私の娘が何かされていたら黙ってない」

と言っていた事



”これは私が欲しかった言葉だ”

私が辛かった時頼りにしたかった時
取って欲しかった態度だ

と思った



また、ある人はお子さんがいて

「老後の面倒は見ないからね」と言われていて

当人もちゃんとどっかの老人ホームに入るつもりでいること

その話を朗らかに雑談としてできる事が羨ましく思った


そりゃそういう家族ばっかりじゃないけれど

そういう安心安全がある家族関係が

シンプルにうらやましく思う


今はその痛みや喪失を

静かにただ味わおうと思う

30分程BSPをした

そのうち1件はお喋りが止まらない、しゃべりたい衝動のケア

スコア9 → スコア7


お喋りしたくなる背景には

自分に関心を寄せてほしいというインナーチャイルドがいる
→承認欲求

こんなことも知っている、役に立つ自分であるというアピール
→知識欲の強さも、恐れから来ていたかもしれない

我意でコントロール欲求
→その場のコミュニケーションの中心でいられる

相手の話をもっと聞けるようになったら良いなと思う


女性のADHDにはお喋りな人がいるらしいが

機能不全家族で育った子供にもADHD様の症状がでるらしい

私は遅刻や忘れ物が多いタイプでもないし

社会生活におおきな影響は出ていないし

診断も受けていない

もっと落ち着いて話して

聴いてができるようになると良いなと思う



私がご縁があった中で

1番執着が強かった元彼の話



他の元彼たちは

別れたくないなんて思わなかった

わりとサラッと別れを受け入れてドライだった



まぁ、私が相手を好きになったというよりは

だいたい相手が私と付き合いたいというから

付き合ってみてるケースが多かったし

付き合っても自分の好きが

盛り上がることもさほどなかったし


1人の元彼だけ執着が強かったのは

その元彼の社会的ステータスが

特に高かったから があると思う


自尊心が育ってなかった私は

ハイスペな彼の彼女である自分に

自己価値を見出していたんだ



彼は付き合う人を好きに選べる

立場であるはずなのに

私を選んでくれているということが

私には価値があると思えて

あの頃の私は気持ちが良かったんだろうなとか




どうしてあの人の夢を見るのかわからず

しんどかったけど

この辺の心理もあるんだろうなと思う


彼は私に自己価値観を与えてくれた



私はそれに依存していた

彼自体よりも彼のステータスに

依存していたのかもしれない


結局私は他の元彼に対して同様

1番執着していた元彼にも

自己無価値観を埋める効果を

求めていたのかもしれない

彼は私に『エゴが強いね』

というパワーワードを残していった


本当に憧れて好きだった彼だった

ダメなところもあったけど

私もダメなところあったし

別れたのは潮時だったなと思う



ACで結婚は絶対したくなかった私ですが
学生時代は割と彼氏が途切れることがなかった

彼と別れると
『アナタが好きでしたー』
的な人がやってくる

最初は『そういう目で見ていないから』と
断ったりしながら

なんだかんだでアプローチしてくれた人の中から
誰かと付き合うことが多かった

男の目を気にするでなく
メイクや服装髪型
ネイルなどに特別に
気を配るわけでもなく


受けを気にする
仕草をするでない
私の何かを見て

男たちは私を好きだと言った
好き?もよくわからなかったが
断る理由もなかったりした

私に価値があると言ってくれる人がいるのは
親からネグレクトを受けてきた私には
染み入るものがあった

しかし


私は彼らがくれた無条件の愛情を
育てることをできずにいた

私に向けてくれた包容力、関心、思いやりは
私を支えてくれたと思う

親という頼れる存在がなかった私を
無条件で好きと言ってくれた元彼たちは
本当に今思えば感謝でしかない

でも私は彼らに同じものを
お返しすることができなかった
返そうとさえすることができなかった

関係性は作り上げていくものだとは知らなかった
元彼たちに申し訳ない気持ちが初めて湧いてきた

彼らが穏やかな幸せに包まれているといいなと思う

多分3回目

初回は家族の悪縁を切りたいなんて、、、

申し訳ない気持ちもあった

縁を切りたいと思う自分を

憐れむ気持ちもあったと思う



2回目も少しは進展したと思いつつ

心は少し重かったし

方向性もよく見えなくて

まだもがいてた


今日は、

そりゃそうだよね!

縁切りたいよね

もっと軽くなりたいよね

まだまだ軽くなれるよ

そう思えた

昔ね、ゾンビ映画が好きだった

今は全然

音楽の趣味も変わった

昔は何であんな陰気な曲を

繰り返し聞いていたのかわからない

波長が合わなくなったんだろうと思う


ゾンビ映画に関しては

ゾンビも人だったから

ちょっと愛嬌あったりすると

言ってた気がするけど

これが

今思うと、おかしい人にも

事情があるんだよ〜

親はおかしいけど

そこまでじゃないんだよー

みたいな気持ちの表れだった気がして

今思うと怖い怖い


ゾンビ映画って追いかけられて

感染しちゃうじゃない?

親のこと嫌いだけど結局

おんなじ感じになっちゃうんだろうなって

恐怖に駆られてた時期があって

親も嫌いだし
(そりゃ、好かれるようなことしてないからね)

親が嫌いな自分も嫌いだし
(好きになれないの当たり前なのに嫌ってやるなよ、自分に優しくしたっていいのにさ)

親に似てる自分も嫌いだった
(多少似てるかもだけど、全然違う!別人だよ)


実際はそんなことないのにね

私は私

あなたはあなた

なのにね


怖い映画見て、怖い実家を

再体験しなくなって来たので

回復が進んできたのかなと思う


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