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アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

実録)私の毒親・血縁関係

子供時代のことを話すと

よくグレなかったねと

言われたことが何回かあった


1つはグレようとしたけど
親が無反応でつまらなかったので
頑張ってグレる意味もないなと思った


いい子でいても親からは
関心が得られないので

私のために必死になって
欲しかったんだなと今は思う


あとは、私は特別好きな教科があって
その方向に比較的のめり込むことができたから
グレなかったのもあると思う

また、良い子ちゃん主義だった
というのもあるだろうし

初孫で生まれて
可愛がってくれた祖父母に
顔負けできないようなことは
したくなかったから

だから大きく道にそれることは
なかったんだと思う

頻繁に引っ越していた割に
周りの友達も良い子が多かったし

いろんなことが幸いしていたと思う

山崎元さんの新しい本を
読ませていただいている

この先成長を見守れない子供達に
伝えたいことをまとめた本



こういうのはかつての私はとてつもなく
ムカついて見れなかった

無意識にでも自分の父と比べてしまうから




ある時から自分の家庭と
比べてしまうから周りの人と
仲良くするのが怖くなった
知るのが怖い的な

それと同じ感じで本やドラマでも
普段はクズでも子供のために
頑張ってる話など
しんどくなってたんだけど

私の父のアドバイス(マウンティング)
との格差に驚きつつ

他人の父親のアドバイスをこうやって
読ませてもらえるなら
わかるところは実践していこうかな
と前より少しニュートラルに思えている

もちろん直接の影響から比べたら
とてつもなく少ない影響だろうし

土台私には当てはまらないことも
少なくないだろうけれど

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私が思うに

父は他者承認を得るために

美人の母と結婚し

他者承認を得るツールとして

私たち子供を使っていた



父親になった自分が誇らしく嬉しく

周りの人にもそれを

示したかったんだと思う



たくさん私たちの写真を撮り

写真を配って歩いたのは

そんなことかなと思う


特に末の男の子はアクセサリーとして

お気に入りだったけど、

雑に扱って壊れても、修理に出すでもなく

捨てるに捨てられても

不満を言いながら持ってる


訳)好き勝手に遊び倒して

不登校引きこもりになって

医療にもつなげず

獣のような匂いの部屋に

匿ってる

冷たくしてでも捨てられない




でも父には弟が必要なんだと思う

こき下ろす対象がいると

父はアドレナリンで酔っ払えるから


父が健康でいるのは

息子や妻をけなして

エゴを保ってあるからだろうな

だから決して父は家族を見捨てない

俺の金で生かしている誰かが必要だから

情緒的サポートをほぼ受けることがない
子供時代だったので

周りのご家庭や
親とは子供のことこんなふうに考えるのが
普通という論説を見聞きしては

すごく損した気分になってた
私してもらってない!!
って

例えば

子供の相談に乗ってくれる
子供の将来を考えてくれる
困ったら飛んできて助けてくれる

など

私は困って相談したら

うるせー知るか、勝手にしろ、バカじゃねぇか

と拒絶され、相談内容をからかいのネタに

されたりしていたので

そんな家庭環境にいる自分を恥じていた



でも今は、違う思いがある

子供の相談に

そんな風にしか返せない

大人もいるんだ

残念だけど


私が大切にしてもらえなかったと感じたのは

当たり前だと思うようになった

家族を嫌うのは間違いだと

思わないようになった


そもそもの話が

そういう風にして人を傷つける言葉を

平気でいうように育てた

祖父母の教育のせいでもあり

自分自身を省みず

歳を重ねた親自身の責任でもあると思う


機能不全家族で育ったと

気づいて6回目の年末

かなり楽になった


幸せそうな家族以外の人も目に入るようになった

独り身なんだろうなー

不機嫌そうだなー

とか家族連れだけど全然仲良くなさそうだな

とか

刮目した感じ


地上波のテレビは毒だなと思った

ファミリー向けの構成になってるから

CMも家族の繋がりとか

そういうキレイ目なの推して御涙頂戴する

その点YouTubeとかは

視聴履歴に応じたCMが入るから

マシになる エアビーのCMは嫌いだけど


私の父は自己中心的で

お湯を出して食器を洗ってると

めちゃめちゃ怒ってました

給湯ランプがついてるのに気づくと

大声を出してキレていました



そのせいで母は手荒れしてつらそうでした

手伝いを求められることもなく

手伝いを申し出ても断られるので

家事は母の仕事でしたが



この情景は私に結婚育児への

ネガティブな印象を

与えたのは間違いありません


父は三人兄弟の3番目

弟も三人兄弟の3番目



父にとっては初めての男の子で
当時子供だった私でも
明らかに喜んでいる父を見て
少し白けていた

一人息子には自分の名前を
一部入れた名前で
思い入れはひとしおという感じ

周りから見ても兄弟差別は
なかなかだったみたい

父は弟にこうだろう!ああだろう!
自分本位に絡んで
弟の意見などはお構いなし

母もまた弟の欲しがるものは
なんでも与えて
猫可愛がり、肥満気味になる

父は弟を甘やかして
弟が不登校になっても
好きなだけ休ませていた

人に向き合うのが苦手な父だから
学校に行きたがらないという
繊細なシチュエーションに
対応できなかったんだろうと今は思う

母も対人関係苦手だから
学校ともうまくやりとりできなかったのか?
学校自体がおかしかった可能性もあるが

とにかく弟は可愛がられてたようには
見えたけど、ペットのような可愛がり方で
生物として可愛い時期が過ぎたら
ポイされた感じだ

勉強しなくても受かる大学を卒業して
ニートになって、10年以上になる?

父は遅くにできた子は障害の率が高いと
他人事のように言っていたけど

ここまできたら社会に出ても
迷惑ばかりかけるのではと思う






会話が成立しなかった祖母



子供の頃から父方の祖母とは
会話が全然噛み合わなかった


一方母方の祖母とは
子供の頃から話が盛り上がる

ふと何が違いなのだろうか?と思った

歳?耳の聞こえ?
確かに父方の祖母は耳が悪そうだったけど
私が小学生の頃から会話できなかった
おそらく祖母は70歳くらいか?


地元の訛りがひどすぎて私が
聞き取れなかったからか?

いや違う、わたしは郷里の言葉はかなり堪能で
今でも郷里の人と会えばバリバリだ

シンプルに会話ができない人だったと思われる

こちらの話は聞いてないで
言葉を紡ぐ人だった

電話で話すのも
直接会って話すのも
苦痛だった

脈絡のない話ばかり
こちらの返しがなんであろうと
関係ない話の展開に疲れ果てるが
親戚は久々に顔出したんだから等
話すろうに強要する


そんな調子だから
父方の祖母と話すのは嫌だったし
会うのも楽しく無くて嫌だった


でもね、よく考えたら父も一緒だ
あの祖母にして息子であるあの父なのだ


父の素行に悩まされた時
お父さんはあなたが生まれる前からその性格で
生きてこられたんだと思いますよ

と言われたことがあったが

今祖母を振り返り、あの祖母にしてあの父なのね 

これからも会話が成り立つこともないだろうな

と何か霧が晴れた様な気がした

機能不全は連鎖する

人との会話の仕方も

無意識的に似てしまうのだろう





単純接触効果とはCMとかで

何回も見ていれば

だんだん親しみを

感じるようになるってやつだけど


親子として20年近く寝食を共にし

結果人として嫌い、合わないのだから

とてつもなく単純接触回数が多いのに

合わないのだから、まぁ、もう、

ほんとに会わないのだろうなと思うし


幸いお互い自立してるので

もういいかなとも思う


サイテー!って思うことがほとんどだ



連絡ないのに不満を持ってる

自分が悪かった、仲直りしようと

言ってくればいいのにと思ってる



ただ連絡来てもその内容によっては

不快極まりないのだから

連絡来ないほうがマシかもしれん



私の親は無関心で

受験シーズンに家族で

応援してくれる家庭の話を

異世界のように羨ましく思った


夜食が出てくることもないし

志望校について何か言われることもない

受験結果に応じてお祝い会もなければ

残念回もなかった

入学式に親が来ることもなければ

卒業式も同じだった

別にこれは兄弟間での差別はなく

どの兄弟も同じだったように思う


家族の温かさや

安心感の欠如した家庭で

親が関心を持って話してくるのは

親の知識自慢と、家族のこき下ろしだった

または、私が不安がったりすると

面白がっておちょくってきたりもした


温かい人間関係を

構築することが

できない人なんだろう



昔は社会的に結婚が

当たり前だったから

親を見てほんとは別に

結婚したいわけじゃないけど

って人が結婚して

子供産んだパターンな気がした


家族は小学校の同級生のような感覚

昔の友達みたいな?

別に今あっても

何話して良いかわからない

みたいな人たちな気がする




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