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アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

#アダルトチルドレン

私が毒親、機能不全家族といった言葉を知ったのと同じくらいの時期に、”エナジーバンパイヤ”に関する投稿を各種SNSで見る機会がありました。

エナジーバンパイヤとは、会社や友人関係等で、関わると元気が吸い取られる人のことを言うらしいです。

ふむふむ、、、たーしかに、そういう人いっぱいいるなぁ。



ふぁ!わかったぞ!

「毒親ってもれなくエナジーバンパイヤじゃないかしら?」

そう思ったら、距離をあける事をさらに正当化できる気がしました。



父親:
威圧的で否定的な言動と、一方的な大声での話ぶりで相手にするとすごく疲れる。
こちらの話を聞かないので会話が成り立たない。


母親:
おどおどしていて、自信がなさげ、笑顔がなく、自分の身だしなみに気を使わない。
話すと夫に馬鹿にされるばかりだからか、自分の意見、思っていることを話さず、私とも会話がほとんど続かない。




私は自分が毒子と気付く前から、公にはタブーっぽいので言っていませんでしたが「こんな人たちにはなりたくない!」という思いを抱いていました。

両親は、時々会ったり話したりすると、やはり幻滅し、ちょっと普通じゃないなぁと思うことばかりです。

だけども悲しいかな、親子だからふとした時にとても似ていたりします。
親子だから私も結局はこうなってしまうんじゃないかという根拠のない恐れを抱かせる存在です。
(本当に根拠はないんだけど、、”そうならないってハッキリ言いきれない怖さ”があるんです、、)




エナジーバンパイヤの対策は、関わらなくてもいい人ならば”無視”だそうです。

親子だからといって、一緒にいると自分がどんどんダメになる、なけなしのやる気も、希望も、失うような人と今更仲よくしようとしたり、すり寄る必要もないと思います。

今は特にエナジー枯渇しているから、”自分の幸せ最優先”で行こう。





【私のしたいこと】
毒親エナジーバンパイヤにかける時間や気持ちよりも、
なりたい自分に近い人や好きなモノや事に接する時間を長くして、心から楽しい時間を増やしたい。


自分を認めて焦らずに安心して暮らしたい。


過去が思い出されて悲しくて仕方なくなる時も少なくない上に、
そもそも、本当は自分が何が好きがわからなくなってきたので、そこからですが。。。


【自分への宣言】
変に心配したり、気を回したり、連絡とることも、する必要はもうありません。

1回もプラスに働かなかったし、関係するとマイナスになることしかないのだから。

あの人たちもあの人たちなりに楽しくやっているだろうから、万事それでOKよ!




毒父は水道電気ガス異常にうるさかったなぁ

電気水道ガスなしに生活は成り立たないが、毒家では常に監視されている気分で、家は安心安全の場所ではなく、いつ怒鳴られるかわからない場所だったな。

「あぁ、だからか、今でも日常生活で緊張感が抜けないのは、未だに今の家でだって心からリラックスできないのは」

そういうことに気付いたヨ、というお話と今後の自分なりの対策についてです。


【毒家での日常】
電気水道ガスについて毒父は激しくケチだった。俺の金だから。
(え、俺の金は大切で、俺の家族はどうでもいいの?と今は思うけれど、、)

ちょっとでも人がいないところの電気がついていれば怒鳴り散らし
(怒鳴ることでしか、人を動かすすべを知らないのかな・・・)

少しでも水がしっかり止まってなければ家中に響き渡る声でがなり
(人を動かすときはその行動による相手のメリットをわかりやすく伝えたほうがいいよね、不快感しか生まれず、反省する気も起きなかった)

母は寒い冬の日も風呂の残り湯で風呂場で、荒れた手で洗濯物を手洗いをして過ごしていた。
(きっと体が冷えて辛かっただろうな)

寒い冬の日でも、母がお湯を出して家事をすれば給湯ランプの点灯に目ざとく気づき大声をあげた。
(水道代にうるさいから、米のとぎ汁で食器洗ったりしてたなぁ)

冬も夏もエアコンはあっても使われることがなくコンセントが抜かれている。
(散らかった居間に使われることのないコンセントをぶら下げたエアコンは何とも言えない異様な雰囲気だ)

石油ストーブを朝と夕方かな?時々使っていたが、家全体が温かくなることはなかった。
(私の場合「暖かい家庭」は、雰囲気的にも実際の気温をみても、リアルにはあまり存在してなかったかもネ)



【私の今の日常】
つい最近、今でも水道ガス電気を使うことに無意識の罪悪感を感じていると気づいた。

光熱費を払うのはあの毒父でなくなってもう10年以上たつのに、、、きっと怒鳴られるのが嫌だからと癖になった生活習慣、染みついた支配が恐ろしい。

例えば、

電気:
誰もいない空間に電気がついていると「すぐ消さないと!」という気持ちが止められない。夫にも驚かれるほどの素早さで、彼が使っていた部屋や洗面所、玄関の電気を消して回る。

寒くても暑くてもエアコンを使うことに抵抗感が強く我慢しがち。

水:
食器洗いは少なめの水でこまめに止めながら行う。
シャワーや歯磨きなどは、ちょっとでもすぐ水を止める。
お風呂の残り湯を洗濯に使うなど、ただ水を流して捨てることへの抵抗感が強い

ガス:
これに関してはあんまり思いつかなかった。。。



【毒家の現状】
最後に訪れたのは2015年だったがおそらく良くなることはないだろう。

どんな猛暑で「熱中症の危険があるのでエアコン使うように」とテレビが言っても、エアコンは使われず、相変わらずコンセントが抜かれている。きぇー。。


真冬の寒い日でも、限られた時間のみ石油ストーブをたき、それ以外はこたつがあるだけなので家中シンと冷えていて、過去、冬場に毒家を訪れたときなど、体が芯から冷えて足先が痛かった

電気代出してあげるから、夏のクーラーや冬の暖房を入れるように言っても聞かなかった。母親につらいだろうといっても、大丈夫の一点張り

だから真夏や真冬、毒家に毒父と住む残りの家族を思ってはゾッとし、心配していた。



【解毒のための対策】
気:消さなきゃと思って気持ち悪くても、気にしない練習
道:シャワーは止めなきゃと思わず、ぞんぶんに浴びるチャレンジ
   食器洗いや歯磨きも、行き過ぎた節水意識を減らしてみる。

毒家の人々について:
あそこでは、住民の快適さや健康よりも、光熱費が大切。

光熱費を使うことが絶対悪
のように刷り込まれている。

そこに好んで生活している人たちのことを私がいくら心配しても何も変わらなかったし、これからも変わらないだろう。

あの人たちにはあの人たちの人生、私には私の人生がある。


【今の私に必要なこと】
毒家とは境界線を引いて自分の幸せ集中する。




毒子でHSPの私は失業保険を120日間マックス申請しました(10年以上の雇用保険の加入期間がありました、1年以上であれば90日間だそうです)。

今日の申請で終わりで、1週間くらい?で振り込みがあるはずです。



毒親に経済的なマウントとられながら生活した経験から、長年に渡り

「正社員で上を目指してバリバリ働くが絶対的正解」

で生きてきたので、失業保険を申請するのは心理的に大きなハードルがありました。



そんな私の経験を振り返ります。結論から言うと私の住んでいる地域のハローワークは怖くなかったし、無職であることを責められたりということはなかったです。
なんなら、私を最も責めてきたは私自身だと思います。


【失業状態の毒子はこんな感じでした】
働いていない自分を認めるのがとてもつらくて泣きました。
もう働き続けるのは無理だったのにね、、、

最初に申し込みに行く日も、いやでたまらなく子供みたいと思いながら「どうしても嫌だったら家に戻ってくる」と嫌々家を出ました。

そもそも、自分に自信のなくなった私は手続きがちゃんとできるだろうかと、とても不安で仕方なかったです。



【失業保険に関する前情報】
「やめたら失業保険もらったらうんだよ~、自分ももらってたよ~」と前職の人の助言もあり、過去の職場メンバーも何人もの人が、もらってた時期があると笑ってました。

それでも自分の中で、恐怖や恥だという気持ちがぬぐいされませんでした。



【実際にハローワークに行く前と行ってみて】
事前にインターネットでたくさん情報を集めて知識武装すればするほど、微妙に書いてあることが違ったりして頭がこんがらがって余計怖くなりました。
(全部の仕組みが今でもわかっていないけど、手続きは完了できた~)

申し込みに行ったら退職理由を聞かれるのが怖くてたまらなかった。
(実際はハローワークはとても混んでて何も聞かれなかったけど)

失業=社会の落伍者の扱いで、早く再就職するようにせっつかれるんじゃないかとビクビクした。
(リストラにあったおじさんとかがたくさんいるどよーんとした場所のように思っていたけど、行ったら年齢の近い人もたくさん待合の椅子に堂々と座ってたし、絶望的な雰囲気でもなんでもなく、システマチックに諸々の手続きができた)

就職活動の一環でハロワの就職相談を利用しようと思っていたけど、そこでダメ出しされたり、無職の期間があると不利とか詰められるんじゃないかと思ってた。
(毎回窓口の人は違ったし人によって合う合わないはあったけど、優しい人もいてさして嫌な思いもしなかった)


【HSPの私の求職活動実績の作り方】
4週間に1回の失業保険の申請の間に2回の求職活動が必要です。

私は心身の状況からフルタイムで働ける気もしなく、よもや自分に合っている働き方なんてわからなくなってしまっていた。

今までの働くことについての価値観は、今の私に当てはまらないことだけはわかっていたから。

つまり、働きたい気持ちは大いにあるが、どの方向に進むのが自分に合った働き方かわからないという状況でした。

今まで利用してきた転職エージェントさんは要するに営業マン的要素が強く感じるので、今回はお声がけしていません、どんどん連絡が来て、再就職をプッシュされるのが怖かった。

そんな状況だったので、1)、2)を行って働くことと自分を見つめなおしました。

1)公共機関主催のセミナーに参加
ハローワークにおいてあるリーフレットの就職セミナーに参加した。
自分を大切にする働き方や適職の見つけ方など、求職者に寄り添ったセミナーで、周りの方とのグループワークも新鮮な発見があり、実りのある時間でした。

2)ハローワークでの職業相談
失業保険の申請に行った帰りにハローワークの求人検索用PCで、家の近くのお仕事を見つけて、相談しました。今の自分の状況を話すと、「じっくり考えてもいい」と言ってくださった方もおられました。その方は年齢を重ねた女性の方でご自身のキャリア背景や家庭の介護の事情なども話してくださり、とても印象深い方でした。


【私の場合失業保険の期間が終わっても、自分に合う働き方は見つかりませんでした】
私の場合3か月の給付制限の間、実際の給付期間を経ても、今の自分に合う働き方が見つかりませんでした。

今は焦ってフルタイムの仕事に、”自分を偽って大きく見せて就職活動”をするよりも、

短期で家の近くの派遣があればチャレンジしてみるといった、スモールステップが私には無理が無いように思います。

本音では今までもらっていたお給料を考えると、気が進まない気持ちもありますが、もう少し気楽に働く、働くこと自体を楽しむというのの実験として。


”無理をしない自分に合う働き方”って何なんだろうなぁって思います。



キャリアの積み方って、社会的立場って、幸せに生きるって、、何だろう?

という疑問に対する私の答えは、イマイチまだすっきりしません。

焦る気持ちももちろんありますが、まずは今の自分を否定せずに日々を暮らして見つけていければいいなぁと思います。




HSPで自分責めが強い私は、「自分に優しくする方法っていってもわからないよぉぅ」と思っていたけど、もしかしたらコーヒーを控えると自分に優しいかもしれないと思った話です。

<以前の私>
私は仕事中よくコーヒーを飲んでいました。
朝、午後の食後の眠気が来るとき、夕方、と1日3回くらい?かもっとです。

忙しくて集中力が必要な時や、ちょっと休憩がてらに飲んでいたのはコーヒーでした。

「コーヒー買ってきます」っていうと「仕事にやる気あります、気合入れてきます!」という宣言のように感じるのは私だけでしょうか?

なんかそう言って席を立つ人が周りに多くて、「その言い方ちょっとかっこいいやん」とまで思っていましたw。

今振り返るとコーヒーを飲むと神経が高ぶって気持ちが余計焦ったり、焦っては落ち着く為にまたコーヒーを飲んだりカフェオレを飲んだりしていました。

飲みすぎで頭痛や胃痛がしたりもしていましたが、体調が落ち着くとまたコーヒーを飲んでいました。

当時の私は、職場を離れても職場貸与の携帯でメールが見れ、海外関連のやり取りもあったため寝る直前まで仕事のメールを見たり、朝も起きて一番にメールチェックしたり、土日も仕事のことを考えて神経を張り詰めていました。

その上コーヒーを常用していたので更に神経が高ぶり、焦って落ち着いて対処できなくなっていたのではないかなと、最近思ってきました。




<2020年2月の私>
コーヒー類を飲むと動悸がしたり、焦りが増える気がして、2020年2月に入ってほとんど飲まなくなりました。

息抜きに飲んでいたコーヒーやカフェラテが無いほうが、かえって少し精神的に穏やかに過ごせている気がします。

私はすぐに自分を責める癖があるのですが、その癖自体にも、自分の気持ちや、蓋をしていた過去の感情に少し意識が向けられるようになった気がします。


そう考えると、私はコーヒーを飲まないほうが自分には優しいのかもしれないと思います。



<もしも仕事を再開しても>
仕事中に疲れたからといってコーヒーに頼って自分の気持ちを無理に奮い立たせることはしたくないと思います。

疲れたら、「頑張ったんだね、一休みする?」って自分に思ってあげたいです。

毒子でHSPの私は2019年に仕事を辞めました。

今まで5社を経験し、常に次の仕事を見つけてから会社を辞めてきたので、完全な無職になるのは初めてです。

私の価値観の中で、無職になること、失業保険を受給することは非常に恥ずかしいことで、絶対に避けたいことでした。

専業主婦の母親が父親に軽んじられ馬鹿にされている家庭に育ったからです。

「お母さんのようになりたいという」感情は私には一度も沸いたことはなく、「お母さんのようにはなりたくない!」と毎日のように思っていましたし、今でも思っています。



<2015年にも1度無職になりかけた>
仕事に深く傷つき絶望して、もう仕事を辞め「失業保険を受給しながら仕切りなおそうかな」と真剣に考えたことが2015年にありました。

不本意な人事で、左遷された時です。

左遷先は家から遠く、業務内容も自分の経験や特性を活かせるものではありませんでした。

その時は、悔しさもあり、自分を奮起させ、これからやりたいことも少し頭に描けていたので、時間をやりくりして転職活動をして、別の会社に移りました。




<2019年限界に達し会社を辞めました>
2019年に会社を辞めたのは仕事が自分の価値観と合っていなかったことが大きな要因です。ですが、過去の仕事のトラウマを引きずり自分の中で消化していなかったことも影響していたかもしれません。


仕事トラウマ(1)2012年頃
後から入った、「いい加減に見える要領のよい後輩」に先に出世された事。※のちに退職 (具体的にはコチラを)


仕事トラウマ(2)2015年
自分なりには一生懸命やってきていたにもかかわらず、左遷されたことが心の傷となり、キャリアの中の大きな汚点のように思われたこと。※のちに退職


仕事トラウマ(3)2019年
話の通じないコンタクト先、変更に次ぐ変更、複数業務が同様にコントロール不能となり複合的な環境要因も重なるなど、仕事のことが常に頭から離れず、休日は寝てるだけになるなど、意欲減退、不眠、食欲不振、動悸等、ボロボロの状態で、退職しました。

「逃げたといわれたら否定出来ない」と思います。


<退職して全部ハッピーハッピーとは行かない>
退職して数か月は、本当は仕事を本当は辞めたくなかったと思ったり、でもあの状態だともうどう頑張っても無理だったと思ったり、自分の親は毒親だったのではと思い始めたり、気持ちが定まらない日々が続きました。

仕事を辞めてのーんびり楽しくとは程遠い毎日です。

退職後半年以上たった2020年2月現在も、自分は働かないと自分の価値がゼロのように思っています。

出来たら働きたいと思う気持ちはありますが、心から「これがしたい、こんな風に働きたい」というよりも働いていた時のトラウマが先に出てくる状況が続いています。



<今の状況をサバティカルタイムって言ったらいいんじゃない?>
そんなある日、「会社を辞めてこれからサバティカルタイムをとる」というSNSの投稿を見つけました。


コトバンクによると、サバティカルタイムとは以下
”長期間勤務者に与えられる、使途に制限がない長期休暇のこと。期間は少なくとも1カ月から1年。(中略)近年では、長期的にみた労働効率の向上などを期待して、ヨーロッパを中心にサバティカルを取り入れる企業も出てきている。 ”



「私は、今は無職で過去を振り返って悲しんだり、次にしたいことは何も見つからず、先の見えない、いい年した大人です。昔と違って何にも意欲が持てなくなりました。」


これを新しく知った言葉で言い換えると

「私は、今はサバティカルタイム中です。」

私にとっては、どこか、うん、すごーく言葉がマイルドに受け入れやすくなりました。



<結論>
今の無職の私を、気持ちが落ち込んで毎日のように泣いたり、今までできたことが出来なくなったり、自分の事が分からなくなったりする自分を、

ダメな自分じゃなくて、

サバティカルタイム中と思ってみようかなと思います。








今現在は、正社員の仕事が息苦しくなり、心身の不調で退職。
働くこと自体、会社組織に対しても恐怖心を覚えて、失業保険受給中の私です。
振り返ると働くのが楽しくて仕方なかった時期がありました。


【高校生、大学生のころのアルバイトはとても楽しかった】

自分のお金が稼げるのはもちろんの事、

社会の一員になったようで、働いている事自体が本当に純粋に

楽しかったのをとてもよく覚えています。

一般的な人より多いかもしれませんが、

アルバイトとして11種類のお仕事を経験しました。


高校時代:途中転校があり5種類
1.ニューオープンのイタリアンレストランの調理場
人生初めてのバイト、イタリアン自体が珍しくてまかないがおいしかった。

2.サービスエリアの売り子
暇なときにトラックの運ちゃんが買ってくれたりした喜びは大きかった。

3.コンビニの弁当工場
短期、ひたすらいなりずしをトレーに乗せるなど、裏側が覗けて面白かった。

4.ファミレスの調理場
主に皿洗い、余りのケーキくれたりして、明るい店長で良かった。

5.ジューススタンドの売り子
フルーツ切ったり、ジュース作ったり、余ったジュースはちょっといただいたり、関係性良かった。なぞの私のストーカーおじさんがいたけど、年上のお姉さん方が守ってくれたり、いい思い出。



大学時代:コールセンター業務を収入の柱に6種類
一人暮らしの生活費を稼ぐためもありましたがどれも振り返って楽しかった。

6.大手コールセンターの受信業務
夜勤もしていましたが、同期、先輩との仲がよくて交代で、休憩室で夜食たべたり、良い思い出。

7.化粧品の販売員
国内メーカー担当で、日帰り出張もしていました。

8.フリーペーパーの街頭配布
当時流行していましたね、今は下火ですが。楽でした。

9.試食販売
コストコに仕事で行けたのは面白かった。一日メロンパン切ったりしていました。

10.予備校のチューター
通ってた予備校に大学に入って声をかけてもらって、同僚とたくさん写真をとって楽しかった。

11.居酒屋のホール
沢山ドリンク運べないのに店長さんになぜか気に入られ、皆さんと仲良く、お客さんとも楽しく接客できた。



「高校性から大学生まで約7年間の労働は楽しかったよ」と迷いなく言えるのに、
「社会人になってからの10数年は辛いことばかり」が正直な気持ちです。

アルバイトと違って就職活動/転職活動が大変だったから、肩に力が入った?
正社員とアルバイトは違うんだから、しっかりしなきゃと意気込みすぎた?
HSPだから周りの目を気にしすぎた?


社会人になってからの自分に自信を持てません。
本当は心から働くことを楽しみたいのにな。

HSPで毒子の私と自己啓発本やマナー本の関わりを振り返ります。

結論から言うと、私は家庭で習得できなかった”普通”や”正しさ”を
自己啓発本やマナー本に大きく依存していました。



<前書き>
私は2019年夏ごろに毒親、機能不全家族、アダルトチルドレンという言葉を知り、
徐々に自分はこれに当たるのではないか?と思い始めました。

親や自分の育った家庭を機能不全家族と定義付けするのは、楽ではありません。
自分の半生を否定するようでなもので、葛藤があります。

親は毒親=自分の中で「自分は愛されていなかった」と認めることになるからです。
2020年2月現在、私は毒子(毒親の子供)と自分を少しは認めているつもりです。



<毒子の私は普通の感覚をインストールしたかった>
10歳くらいの時すでに「私の両親はどうもほかの家とはちょっと違うぞ」ということを認識していました。

他の家の子と、私の家庭体験が全体的にずれているのです。

その後も、その気持ちは強くなるばかりでした。

自分の家庭環境がおかしいとわかっても、”普通”の感覚、”常識”をどうやって身につけていいかわかりません。

なので、私はマナー全集や敬語の使い方の本を買って読んだりしていました。

ただ必要な時に繰り返しケースバイケースに教えてもらっていないので、悲しいかな、とっさに出てこず、結局、人とずれた言動をしては、「変わっているね」と言われたり、「うわ、今のまずかったな」とハッとしたりしていました。



<社会に出た毒子と自己啓発本>
私はビジネスの常識や失礼でない振る舞いなど、正解を知りたくて何冊も自己啓発本を読みました。

世の中には多岐にわたって、その本を読めば問題はすべて解決しそうな魔法の書のような本がたくさんあります。

なんで読むのかって、仕事で壁にぶつかっても、気兼ねなく話ができ親身に相談を聞いてくれたり、心配したり応援してくれる大人は私にはいないからです。

毒父は私の悩み、迷っている事を話そうものなら嬉々としておとしいれてくるので何の解決にもならなければ、余計気分は落ち込むのです。
彼は100%の確率で私の努力を貶し私を無能なバカの気分にさせる、すごい能力の持ち主です。



<自己啓発本と歩んだ社会人生活と今>
ほかの毒子の皆さんはどうかわかりませんが、私はたくさん自己啓発本読みました。
そこに書かれている成功体験のようなもの、ふるまい方、考え方を無理やりに自分に落とし込んで、社会人を続けました。

自分軸がないのでしんどくなってはまた別の自己啓発本や、ネットで役立ちそうな情報をたくさん見ては答えを探しました、必死でした。

自分の心から出る言葉や行動でなくても、そうした情報の通りに行動したりしました。

自分を偽ってたにもかかわらず、次々と転職がきまり、年収もUP、20代のころに描いていた自分になれたのは数年前の事でした。
それからは何をどう頑張りたいかわからなくなりました。

マネージャーに昇進の話や、待遇Upの話をされても嬉しいどころか怖くなった。

人の期待に120%答えることを続けてきて、結局働くのが辛いだけになっていきました。

今は、仕事を辞めています。



<毒子なりに自己啓発本との関わりを振り返る>
自己啓発本に答えを求めるのも良いのですが、自分がどう感じているのか、どうしたいのかを大切に、じっくりと時間をとってあげていたら、もしかしたら違ったかもしれないなと今は思います。

自分がどう思うか、嬉しいか?嫌か?より、
周りからどう見えるか?周りの人がどう思うだろうか?を先に考える癖、
バッチリついてしまいました。
だって親に愛されたかったから、正しい自分になりたかったから。



<毒親と自己啓発本と私>
恐ろしいことに私の毒父の本棚にもたくさんの自己啓発本が並んでいました。
天井までびっしり、壁一面どころの量ではなかったことを思い出しました。

私はまたもや気づいたら毒親のような行動をとってしまっていました。
ガーン、、、冗談じゃなく恐ろしいことです。

今は1冊を除き自己啓発本を手放しました。



<ん?まてよ、私は毒父に似ているのではない>
自己啓発本を何冊も買っては現実は変わっていないのに満足してしまうのは、
毒父に限った話ではないと思い直しました。

世の中にはそんな人がたーくさんいるから、私の取っていた行動はよくある人間心理に従ったものなのでしょう。

私は毒父に無意識に似てしまったのではないんだよ、よくある人間心理なんだから。

本を読んでも行動・実践しなければ現実は変わらないのも事実。
沢山情報がありすぎると、混乱して焦ってしまうので、1冊に今は絞ったのは私には正解だと思います。





まず正直な告白です。
私は親を好きになりたかった。
家族仲が良い人がとてもうらやましかった。

だって
そういう人は完ぺきじゃなくても、幸せそうです。
日々に安心感があって、自信を持っていたから。


TVのタレントや可愛いなぁと思う友達が、当時サマンサのバッグを持っていると、(サマンサって時代を感じますねぇ、今でもかわいいですが)素敵さがアップするかのように、私も家族と暖かな人間関係を構築したいと思っていました。

そうでないのは子供である自分の努力が足りないせい?とも思い、いろいろな行動をしては望む親の反応を探しました。

ですが、

「どーんな努力を払っても、(毒)親と円満になるのはもう無理だと思ってもいい」

と2020年、考えが変わってきました。

2019年夏ごろから毒親という言葉を知り、アダルトチルドレンである自覚が少しづつできてきました。
私の育ったのは機能不全家族で間違いなく、自分の生きづらさの根源はそこにあると思えるようになりました。


【私の父はこんな人】
大声で自分の話したい事だけを話す(相手が話題に興味があるかなどは関係ない)
人の会社や職業を全力でけなして喜ぶ(家族を獲物にするエナジーバンパイヤです)
人のピンチに力をかさない(私が空き巣にあった時、置き引き時、賃貸保証人拒否)
家族が忌々しそうな言動を隠さない、人を金食い虫呼ばわり
「馬鹿じゃないか!そんなことも知らないのか?くっだらねー」が口癖
仕方なく相談をしても、「知るか」と言うか、揚げ足取りか馬鹿にするので傷つく
電話をかけても、わかっているのに「どちらさんですか?」という
古紙回収のゴミ捨て場から古本を拾ってきたり無料のものをもらっては使わない
新聞を読み散らかして居間に放置する、片付けると怒る
いびきがうるさい、整頓ができない、不潔を気にしない、古いものでも食べる
極度のケチでトイレも小だと毎回流さない
妻をヒステリー婆、バカ呼ばわりする
家族の中で自分だけが働くことを不公平に思っていた様子
妻の年金が出だしたら、家にお金を入れないと言ったらしい
何かあると「勝手にしろ、しらねーからな」と怒鳴る

【私の母はこんな人】
電話してもすぐ切ろうとする
自分の話をしない、私にも興味はない様子
体調が悪くても病院に行かない(父が責めたような口調になるから言えないんだろう)
話をするととても苦痛そう(人とのコミュニケーションが苦手なのかも)
プレゼントを贈っても反応がない、メッセージカードや手紙を書いても反応なし
黙々と荒れた手で家事を続ける
対夫も含め文句や愚痴を言わない
外に出たがらない
家族以外の人間関係が一切ない
子供に干渉しない


そんな人たちと客観的に仲良くなれるか?楽しく暖かな気持ちで過ごせるか?
→無理
そんな人たちがいまさらまともな親みたいになるか?
→ないない、ありえない
私がいくら尽くしたらかといって今更私にやさしくなるだろうか?
→ありえない
子供のころに毎日のように大声で怒鳴られたこと、私はその父の行動を受け入れなきゃいけない?
→そんなことない、立場が上のものからの日常的な恐喝、恫喝だった。

私は父の日、母の日、敬老の日など、家族関係を彷彿とさせる時期のメディアが非常に苦手ですが、あんなの作られたイメージ像だと思うようにこれからはします。

私は(毒)親は嫌い、許せないし憎んでる、これから仲よくしようとも思わないというスタンスを定常状態にしたいと思います。だって生んでくれなんて頼んでない。

「それでOKだよ」って自分を肯定してあげたいです。





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