selectively_slow

アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

からかい

『からかってるだけ』の体で
言われたら嫌なことを
吹いて回る人いません?


根拠もないのに
っぽくない?
って感じの人


こうした行為ってすごく
姑息で汚なーい
やり方だなと思うのです


そういう状況が
起きたら学んでいる
アンガーマネジメントを使い



アサーティブに自己主張して
去ろうと思います
※言う価値もなければ
無言で去ります







人生は嫌な思いを
するためのものじゃない。


ここで言いたい
『からかい』とは


言われた方がムッとしたら
「ちょっとからかってる
だけなのになんだよー」
的なやつです


「冗談なんだから
本気にしないでよー
やだなぁ〜」
的なやつです



冗談に包ませた
悪意にうんざりします

からかえるくらい
私はこの人より
上に立ってるよ

という文脈の
コミュニケーションは
幼稚だし、見苦しい。



それが自分に
向けられたものなら
当然嫌です

断固嫌
これからは我慢しない


他人がそういう状況に
なっているのをみるのも嫌。

というか
そういうグループに
所属していたくない
というのが本音


自分が言われたら
『私はそれ言われたら
すごく傷付きます
もうやめてください!』

と言いたいし
その場を離れる

または
取れる距離を取る


からかい全部が
悪いんじゃなくて


言われても見ていても
ホッコリする
『褒めからかい』は歓迎


からかい、は親しい間柄の
褒めからかいだけにして欲しいわ


読んでくださりありがとうございます

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今日は私の毒家族との
関係について

ふと思い出したことが
あったので

振り返ってみます。

そして

可哀想だった
辛く不快だった
子供時代を感じ切り

認知を修正していきたい
と考えています。



私は質問されると
緊張します


責められているような感覚を
覚えることが少なくないのです



それはなぜか?








実家に住まわせて
もらっていた時に


日常的に質問の形をとった
けなしを受けていたからではないか?


と考えたらスッキリしました。


具体的には、父からニュース等
時事的なことについて
が多かった気がしますが


○○って知ってるか?

と聞かれ

○○かな?とか
よく知らない、聞いたことない

と答えるのです


大人が気にするニュースと
子どもが気になる物事は
全然違いますから
当然のことです。


父は

「うぁ~やだねー
そんなことも知らないの!?」

と嬉々として
ミスを見つけて指摘して
喜ぶかのように
馬鹿にしてきていました。




そんな感じだったので
その後の父の説明?
知識のひけらかし?


には全然集中できずでした


そもそも○○に子供は興味はない
というようなトピックで
子どもの発育に合わせた
話題選びではなかったように思います


こうした日常から


質問される=馬鹿にされる前段階


という脳の回路が
出来上がっていったんだと思います






これは父の
コミュニケーションスタイルです

好意的に見れば父が
自分の知っていることを

子どもに教えてあげる
きっかけとしての質問とも取れます


子どもと会話したくて
話しかけたくてとっていた
行動かもしれません



ですが私はそのことによって
父とのコミュニケーションは
傷つけられるものという認識が強くなり



今も父は自分の
優位性を確認するため

私たち家族を馬鹿にするために
話しかけていたのかな


と感じます


誰かが知っていることを
自分が知らなくても問題ないですし


そんなことも知らないの!?って
大仰に驚いてみせるなんて
酷いと感じます。


周囲の人間の自己肯定感を
下げる応対が
日常的に行われていたなと
認識しています。

本当に可哀想だった辛かった
いつ馬鹿にされるかわからない状況で

あの家庭では信頼の意味が
よく分からなくても当然だと思います



なのにこちらの質問に対して
父の回答に重ねて質問したりすると


下らねー、知るか、勝手にしろ、バカじゃねーか!
など怒鳴りあげ会話を強制終了するような父でした。


コミュニケーションが下手なのは父で
子が分からないことを分からないと言って

攻撃される経験は子供心に
本当に怖かったし辛かったと思います。




質問は好意的な意味でのものもあるし
お互いの関係が深まるような質問もある


「質問」のイメージを
改善したいなと思えました。


読んでくださりありがとうございます

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「からかい」、「からかわれる」
コミュニケーションは得意ですか?

私はすごく苦手です


何故か?


それは私の父親が
家族を日常的に
「からかって」
こき下ろしていたから
(!!!!)




「怒りは下に流れる」
と言いますが


父も外でいろいろ
あったのかもしれません
(あの性格ではあったこと間違いなし)


だから、こいつらならやっても
やり返されないだろうと

母や子供たちに
心無い言葉を
ぶつけては


反応を楽しんで
いたのだろうと
思います


反応が薄いと
言葉がエスカレート
していた印象があります



からかうのは愛情で
びっくりしても最後は
ホッコリするという経験が
記憶にありません


この経験が尾を引いていて
「からかい」に対する
トラウマ反応を
癒してあげたいと
感じるようになりました


「からかい」に
対処しない自分になりたい
と思うのです






例えば、
からかわれる相手が
父でなくても


誰かほかの人が
私と親しくなりたくて


試すようなからかい行動を
してくる時も
拒絶的な反応になります


自分以外の人が
からかわれている状況を
見ている事でも
すごく嫌な気分になります


この感覚分かってくれる人が
いるかどうかわからないけど、、、


からかう=父のマウンティングを
彷彿とする

からかう=押さえつけられた生活
という情動記憶が蘇る

ので、、、

類似する場面で
思考が止まってしまったり
当時の恐怖と怒りが
戻ってきてしまうのでしょう



ですが、、、
世の中にからかいは
無くなりません


ねがわくば、、、
からかっている相手と
心理的境界線を保ち


「へぇ~この人には
 そういう風に
 感じられるんだぁ~~~


 わたしとちがうなぁ~~~~」

と対処しない私に
なれたらなぁ

と強く実感しました。


まずは新しく自分の
トラウマトリガーが特定できて良かった

解毒の道も一歩から



読んでくださりありがとうございます
皆様に幸あれ!


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