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アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

ブラック企業

さぁさぁ楽しい振り返りの時間。

大卒新卒の渋ぅ~かった就職活動を振り返り。

令和の今就職活動中の誰かの参考になるように。


※一応言いますと私は4回転職をしています。
新卒カードは一回しか使えませんがリカバリーも出来ます。


自己分析をプロとするなら『mentors』



結論、時代背景も相まって就活は楽ではありませんでしたネ。

いつ頃だったの?って
いくつになっても花も恥じらう乙女ですから、その辺は絶賛ぼやかします。



当時から喋るのが得意とは思っていなかったし

生活費を稼ぐためアルバイト経験は豊富だったものの
社会に出たことなんてないし
面接に呼ばれようもんなら毎回脇あせものでしたね




それでもなーんとか就職活動を切り抜けたんですよ。
当時の私エライ。 

でも10数年たった今では少し妥協だったかなぁとも思います。

その理由をお伝えしていきます。


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ナィーブ故、落ちることに慣れず辛かった。
1社内定出てホッとしてきっと運命だ!と思って就活を辞めた。

これが妥協だったかなと思う理由です。
当時は辛かったけど、自分の為にもうちょっとだけ
粘っても良かったのかもしれない、と思います。



まず、当時就職活動というのは恋愛と一緒と例えられていました。

どちらかの片思いだったり、二股どころかいくつも股をかけたり、

恋愛と一緒で全員と付き合えるわけではありません。

私は並行して選考が進むのも苦手でしたし、
自分の良いところをアピールするのもむずがゆかった。





皆様のご想像通り、書類落ち、面接落ちが続くことに慣れず
自分を否定されたような気がしていました。





実際はそんなことなく、面接は合う合わないの話。
「落ちる」というより「合わなかった」の方がしっくりくるのですが
まぁ~慣れなかった。 


そんなに志望してなかった企業でもご縁がないと地味にショック。
にんげんだもの。




選考に落ちるたびに
私って必要とされていない???っ
そんな頭をめぐり、不安も強くなってきます。



先に内定をもらった友達やクラスメイトの話を遠巻きに聞いては
顔には出さなかったけど、イヤまぁ出てたと思うけど。
焦っていきました。


焦らない人はおらんやろ。。
置いてきぼりの気分になっていきます。




ちなみに早く第一志望に受かって
就職活動を終えた人はスーツじゃなくなるんです。
卒業までの自由を謳歌モードに入ります。




大手の企業の方が内定を出すのが早く
早期に内定をGetし就活エンド=人生の勝ち組のような感じです。

しかも内定貰う人は良いところからいくつも貰うんですよ。
羨望のまなざしぃ。。






なんと!
スーツじゃない人の比率が増えてきた頃
私にもついに内定が1社デマシターー。


就活キツイし、もうやめたい。
まぁまぁ大手だしやりたい事できそう。
人に言っても恥ずかしくない企業、自分が受かるなんてラッキーなくらいだ。



そして私は就活を辞めました。



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内定者懇親会でなにこれウマーーーーー!と
おいしいもの食べさせてもらいながら
すーーーっかりホッとしていたのです。



今となっては もっと粘って自分に何が
本当に合っているか?無理のない働き方ができるか?
吟味すればよかったのでは、と思います。


新卒時は給与や企業規模、会社のイメージで選びましたが
ほかも内定をもらって両天秤にかけてより慎重に選べばよかったかも。


映画 アバウトタイムの様にやり直せるならそうしたいですね。


業界の良い面を真に受け、優しい人事の方々に好感を抱き
入社を決めたものの、社会人早々べっこし凹んだ話はまた今度



今就活中の皆さん、就活がしんどいからと言って
1社目で就活を辞めないほうがいいですよ。


まぁ最初にも言いましたが私は4回転職をしました。
毎回条件は良くなっていきました。


もし心から違ったなとなったら、転職もありです。

どんな時も人生の主役は自分です。



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私は機能不全家族に育った

父親は、怒るタイプで大声で一方的に自分のしたい話をする人だ
自分の考えが正しいと信じ他者を落とすことで自分を満足する人だ

母親は、そんな父に逆らわず日々黙々と家事をこなしていた
友達もおらず、旅行もいかず、内にこもるような人で、パートもせずずっと専業主婦だった
その為世間の事には疎く、もう40年近く、家族以外との交流はないと思う


私が家がおかしいと感じたのは10歳のころで
それから、家じゃない世界にずっと憧れていた




家じゃない世界はもっといい世界に違いない

いい世界に行きたい

そんな思いが強かった



家から心理的により遠くに離れるために、仕事を頑張った、
会社に行けばまともな人たちばかりだろうから(え?



転職して世の中にある会社の内5つを経験した

それで言える事は、




社会もまぁ~おかしかった



  • 忙しすぎ会社の椅子に寝る人続出の職場に行った、自分も椅子で寝たし

  • 切れるおじさんの部下になったことは1回ところじゃないし

  • 信頼した人に裏切られパワハラにあって、関係ない事業所にとばされたし

  • 信頼している男性上司に女として見られていて怖くなったし

  • 情緒が落ち着かないエリートの部下になって、おかげでこっちのメンタルぼろぼろになったし

  • やりがい搾取の働きづらい職場で仕事まみれになって自己肯定感下がりまくり消えたくなったし


この辺は私の体験談だけど、世の中ブラック企業も少なくないようだ



自分の心と身体は自分で守ろう、

そんな風に思う



1985年生まれの大原扁理さんは、20代での隠居経験者、この方の本読むのは3冊目。

表紙はお金を大原さんが歓待している様子がゆるーい絵で描かれています(イイネ!)
お金を人と例えていることが特徴の、お金と大原さんの関係を描いた本。

いわゆるお金を増やす本、節約する本ではなく、「お金と自分の関係をみてみよ~」という本だと私は感じました。

お金と自分の関係は、イイですか?イマイチですか?



前回読んだ 年収90万円で東京ハッピーライフ 、 思い立ったら隠居週休5日の快適生活 もそうなんだけど私はこの人の考え方好きだなぁと思う事多い。

お金を追い求めて、社会的な見え方、世間体(え!)を追い求めて、自分の事を置いてけぼりにしていた私にはピッタリの本。

ということでHSPでアダルトチルドレンの私の読書記録です。


好きだなと思った表現

失敗したときに、誰かのせいにできるという誘惑は、人生を主体的に生きるということから、自分を遠ざけてしまいます。何が正しくて、何が間違っているのかを、私が背負ってあげまっせ、という人や社会が出てきたら要注意。本当にそれでいいのか、手遅れになる前に、よく考えてみる必要があります
失敗した時の原因は外部にも、自分自身にもあるだろうと思う。

世の中には、気持ち悪いほど、セオリーみたいなのはたくさんあって超絶デコラティブ、ペッカペカ。

こうすれば成功するみたいなやつ、、、。

目移りするくらいのまばゆさで自己啓発系はなくなることはなく、読んだだけで人生が好転する気分になることも。

しかもたった本1冊1500円くらいで、イージーイージー、イェイイェイ、ウォウウォウ♪

20代の私は芯が無くて芯を外に探していました、だから自己啓発本も良く買って読んでた、でも人生変わんなかった。

セミナーに通ったりもして、数千円クラスのものが多かったけど、、、それもうまくいく仕事術みたいなやつだった気が、、、

今は、人生を変えるのは自分と自分の関係と自分の周りの人の関わりだと思う

目標がないと行動してはいけないというルールはありません。
いま、そこにいるのがどうしてもつらいなら、抜け出すための立派な目標や理由をつくるより、つらさを軽減する方が先決です。
私もそう思います。

いくら前向きになろうとしても、辛い日常が変わらないなら、アリ地獄モードに入っているかも。
(動けば動くほどハマっていくってーことです)

つらさの軽減、なんならつらい事実を認める方が先決。

もがけばもがくほど、、、混乱、焦り、疲労の蓄積があるなら、潔く休む、離れる、辞めるがいい
(私は仕事も原家族関係もつらさの軽減の為に辞めました、え!)

周りの意見を参考にすることもありますが、一人で決断すべきことさえ、周りに納得してもらわないと行動できない状態になることは危険です。
こうなるともはや周りの納得が行動基準。
彼らだって人間ですから、いつも正しいとは限りません。
どちらにしても間違うかもしれないなら、自分で選ぶ方がましだと私は判断します。
はい、周りの納得が行動基準。

私の場合はそれがもっともっと行き過ぎて、自分の脳内に作った周り?世間体?の納得が行動基準。

自分らしさから、駆け足で離れていっていた、タッタカター。

きっと昔の自分はすっごくすっごく不安、不安の養殖場で不安の再生産を繰り返していたんだと思う。

「そうしないと世の中でやっていけないぞ」と脅すばかりで、「失敗しても生きていけるから大丈夫だよ」と言ってくれるような大人は、私の周りにはひとりもいませんでした。

失敗しても生きてはいける、
人を脅すばっかりの世の中と、うまい事やれなくてもいいかもネと今でこそ思い始めたぞ、ワイも。

一生を他人との比較に生きていたら生きづらさMAXになりそう、、、

「やりたいことができないのがイヤなんではなくて、やりたくないことをしなきゃいけないのがイヤだったんだな
うん、私もコレ。

日常に不快を減らして快を増やしたい。

満員電車はないわ、、、、わけわからんルールに縛られ、訳ワカメで働かない。
ストレスをまき散らしストレス粒子の漂う空間にいたくないわ。

私が自他の失敗を許し、失敗を愛せますように。
なんてきれいごとっぽいことを思う。

私はシェアメイトを満足させるために生きているわけじゃありません。
私も世間体を満たすために生きているんじゃないなっておもった。
私は私の満足を一番大切に生きていたい。

自己中心的な意味もあるし、満足している人の周りのオーラってあったかいから、私もあったかいオーラを出したいなって気持ちでもある。


お金に好かれているのとお金を持っているのは違うのかも

告白しちゃうと、お金の正体がよくわかんない。

多分わかっていない人の方が世の中のマジョリティーなんだと思う。

働くなかで、打算がどんどん大きく育った。

損得勘定が強くなった。

お金を持っていても、稼いでいても、私は幸せを感じなくなっていった。

自分で選んだ仕事なのに、やっていて楽しくなかった。
お金を重視した、世間体を重視した、誰かより上に立ちたい気持ちでの仕事選びだった。
大元をただせば原家族から離れるために働いてきた。


この本の中で、大原さんが30万の大島紬の着物を買ったくだりに私は強く共感した。

イライラしながら稼いだお金で買ったものって気持ちよくないってそんな話。

お金をたくさん持っている人が幸せかというとそうでもないっぽい。
お金があるばっかりに不幸になる人もいる。
物質的には満たされてるだろうけれど、心の豊かさって見た目に見えないのだろう。

多くなくても、お金に好かれた自分好きがいいのかも。
まぁ多くたってかまわないけれど、お金に来てもらうときの自分を自分が好きでいたい。

2020年10月のお金の失敗が教えるモノ

2020年10月、私は退職後の健康保険料と年金の勘違いから100万ほど無駄なお金を払ったことが分かった。(詳細はコチラ) 

今まで節約メインで生きてきた私にとって100万って超絶大金。

なんで?なんで?ってすっごく思った。


これってお金をためて、ギュッと握りしめてばかりじゃなくて、これからは使い方を変えてみたら?という事なのかもとも思った。

お金も道具、使わなければ、一か所にとどまっていては誰も幸せにならないのかもしれない。

自分が幸せになるために、気持ちいい使い方をしてみたい。

そう、お金に来てもらうときも、さよならするときも幸せな気分でいたいや。


そんな気持ちになりました。

お金を人みたいに思うと、嫌な気持ちで働いていたころのお金を、嫌な思い嫌な時間が変化したもののように、嫌だななんて思ったりもしていました。

そんな風にお金に思っていたからお金は100万円くらい、「そんな風に思っているんなら、私のところには居たくない、他の人のところに行きます!」って出て行ってしまったのかも?

けれど、嫌な思いをしていたころの私も、一生懸命だった大事な私。

その頃に稼いだお金も大事にしようかなって、その頃の私も認めようかなって思ったりもしました。





1985年生まれの大原扁理さんの本読むのは2冊目。



前回読んだ 年収90万円で東京ハッピーライフ もそうなんだけど私はこの人の考え方好きだなぁと思う事多い。

目指したい私って、社会に出て目指してきた高給取りで社会的地位がある人ではなく、自分との関係がトコトンいい人なのかもしれないって思う。

お金持ちの幻想に惑わされて生きてきたのかも?上昇志向、向上心?年収UPにワークライフバランス?ってなんや?

かつて憧れた言葉ででも今は、、木枯らしピュルリー。

自分に自信がなく、自分の心地よさではなく、世の中の価値観に惑わされてシャカリキだったのかも。。
若かったな自分、行動力はなかなかあるほうやったで。

ということでHSPでアダルトチルドレンの私の読書記録です。



好きだなと思った表現

「私はお金をかけずにおしゃれができるんだぞ」という気持ちの根本にあったのは自己承認欲求でした。

 あとに必ず「だから私ってすごいだろう」みたいな感情がセットになっています。人間は、自分の事を認められたい生き物なのかもしれません。
私も安く済ませたいという気持ちを強く持っているから、あぁこれって自己承認欲求なのかもねぇ、、、と。

安く買った自分すごい!みたいな強い損得勘定や、そんなすごい私なら私自身が好きでもいい、認めてもいいはずという、浅はかなエゴが私の心に渦巻いている気がします。

それは親譲りで、私の父親も安売りにすごく弱い人。

きっぱり言います、その親譲り、いい影響ない!
私は安さを理由にお金と物を交換したくないなって思います。

好きなことで稼いだお金を、好きなことに使うというサイクルにしていきたい。

忙しいとないがしろになるもの 
・・・もうずいぶん前のことなのに、ちょっと思い出しただけで心の中がドロドロします。今思うと、余裕もなく、精神状態も悪かった
そんな状態ですから、仕事が終わる頃には、何をする気力も残っていません
何をする気力も残っていません、はいコレ!コレですよ。

私の会社員生活そのもの、、、心がドロドロする場所に、嫌々通ってはできるふりをして、月給をもらうような日々だった。

そんな風に過ごすために生きてないって思った。

事実、忙しいと失われるものはとても多い。
睡眠時間や肌のハリ、おなかの調子や、ユーモア、笑顔、枚挙にいとまがない。

忙しさというのは仕事の多さだけでなく、気持ちの安定の無い空間による消耗も合わせ技となるとさらにウルトラつらさマックスとなる。

自分の健全な肉体と軽やかな精神をむしばむ作業をナリワイにしたくない。


粗食のいいところわるいところ
怒るとものすごくエネルギーを奪われます
よね。許せないことがあると人は怒りますから、許せる範囲が狭い分だけ、しんどい気がします

社会的なことで怒りを感じることはありますが、個人的なことなら、ほとんど「まいっか」で済ませてしまいます。

怒りを感じると疲れるのは確かに、ごもっともでございます。

怒りに向き合い切れば、もうそのことに怒らなくなるのだろうか。
なんども怒りがぶり返すって、自分の気持ちに誠意を持ってないのだろうか。
おかしいなぁ物事に誠意をもって向き合おうとするのに、私ってやつは自分には誠意を持っていないの?

相手を変えることはできず、何も言わないのも腹が立つ。

「過去のぶり返す怒りにつける軟膏をください」と薬局で言えばアタオカと思われるだろう

私は怒りを必要な感情だと思っているけど、積極的に感じたい感情ではない

杉並区で働きまくっていたときは、自分が生きていくのに精一杯で、困っている人なんてどうでもよかったし、完全に無視していましたから
働きまくると人への優しさを失ってしまう事象は私も遭遇した。
電車で優先席で寝たふりをするおじさんがそんなところじゃないかな?

やっぱり、つらい思いはせず、毎日楽しく暮らせるなら、そんなにいいことはないと思います。
だれだよ、苦労は買ってでもしろって。
ハードな道の方が、楽しくない方が将来いい事あるみたいに思っちまったじゃないか。

私には合わないや、ハードな道。

私は馬車馬のように働くのは勘弁です。厳しい時代だって楽しく生きたい!あきらめたくない!
実際問題、馬車馬とか見たことないけど、今の私は馬車馬なんて嫌だ。
自分に優しく他人に優しく生きていたい。


はっきりは見えないんで、目指したい生き方を探りながら生きる

とりあえず会社員でやりたいことはない。
精神的に、性格的に、仕事と割り切って物事に当たることは難しい。

なので、今は目指したい生き方を探りながら、消えないでとりあえず1日1日を生きている。

大原扁理さんに共鳴するあたり、量より質ライフのゆっくりが合っていそうだ。

No more 会社員の人生で行けたらいい。

お金持ちよりも時間持ち。

目指したい生き方を探り中だけれど、優しさを持ち続けられる人生を送りたい。



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