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アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

否定

私の子供時代の話

左利きだったので

毎年親戚に会うたびに

あんた!ぎっちょけ!

と驚いたように言われてきた




悪いことを

見つけられたような

感じだった




子供心に自分は

普通じゃないのかー

と感じていた話



世の中的には

右利きが好ましく

左利きは『矯正』されるような

よくないものらしい

子供心に理解できた




私の親は当時から

子供の気持ちに

寄り添わずだったので


親戚の前で

私を庇ってくれるとかは

一切なく


直したほうがいいのかな?

と聞くと

下手に利き手変えると

脳に良くないらしいぞー

と言っていたが

100%面倒臭いだけ

と感じた




ありのままの私をマル!

とするより

どーでもいいや〜

そーゆーのめんどーだしぃ

という感じ




学校生活でも

左利きの苦労は

つきまとった




例えば

小刀は左利き用は

別だったし

習字の時だけは

右じゃないと

書けないので

ミミズを這うような字でしか

書けず苦労した




友達や先生方にも

〇〇さん、左利きなんだね!

(わー実在するんだー)

と驚いたように言われたし




食事で横並びになるときは

自分が1番左側にならないと

隣の人と肘が当たってしまう



それに向かい合わせに

何かしようもんなら

相手に違和感を

感じさせるらしく



あ!〇〇ちゃんって

「左利きなんだね

なんか変だと思った〜」

と変扱いだった

元々左利きは悪という

刷り込みを

子供時代

親戚からされていたので



学校生活でも

社会人になっても

指摘されるたびに


子供時代の気持ちが

少し蘇って

申し訳ないなって

感じてた




相手は大して

気にしてなくて

むしろ

おー左利きって憧れててさー
練習したこともあるんだよ
なんて言ってくれることも

そういえばあったけど


親戚の大げさに

驚いたような

否定するような

嫌なものを見るような

あんた!ぎっちょけ?!

(うわーいやだよー)

って感じの印象が強くて

凹みそうになるのを

無感情で押し殺していた





左利きで良いことは?



例えば縦書きの時に

手が汚れないことだが

世の中圧倒的に

横書きで

横書きの時は

手がめっちゃ汚れる




左利きを指摘してきて
悪いこと言っちゃったかも!
と後からフォローで

運動で有利でしょ
言ってくれる人もいたけど

私は背も低く運動神経も
良くない上運動は
右利きで期待はずれ


なんかご期待に添えず
すんまそん、、、だった


左利きは俗に
芸術センスがあると
言われるが
美術は3以上を
とったこともなく
うーん、、、だった

強いて言えば
天才肌っぽく見える

よし、これがいいかもしれない

芸能人は

二宮和也さん
星野源さん
吉高由里子さん

が左利きらしい

令和の今は

そうそうないと思うけど

左利きで迫害されたら

上記3名を思い出そう

そうだ、私は天才肌だ!
と。

どっちかというと
努力家だけど。

でも天才肌ということで!

人一倍苦労してきたから

これからは人生

良くなる一方だろうな

私は親とは絶縁していますし
親とは別居して20年近く経ちますが

未だに自動思考が
かなり影響されているな
と強く感じることがありました




それは、周りの人に
素直な気持ちを話したら
キレられたり
嫌われるんじゃないか?
という心のフィルターです



本音を言うのが怖い
本音を自分で押し殺す
言ってもどうせダメだと思う
ついつい良い子を演じて
フラストレーションを溜める



これらは育った家庭で
否定的な応対が多かったから

自分の感情を出す
=恐怖と不快感だから我慢

と脳が学習してるんだと思われる






世の中でそんなに強く
否定されるかと言ったら
そんなこともないのに


今の夫に話をするときも
無意識に

あーこれ言ったら
怒られるだろうな

と思う
自分に気づいて




あー私
人の反応は否定的なものだと
捉える傾向が強いな
と思いました


以前人に
言ってもらった言葉で

自分で自分の感情を否定しないで
私が私の感情を否定したら
誰が大事にしてくれるの?

という言葉が
リフレインしました



感情大事にしよう



読んでくださりありがとうございます

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否定や反対を受けると、ショックだったり嫌な気持ちになったりする。

いやいや、でも、、、、

その人はそのことをやった事がある?その道で成功しているの?

3つのパターン分けで、受け止め方を考えてみました。

結論、自分の人生の責任は自分が取るんだから、後悔のないようにやりたい事をやったり、やりたくない事はやらないようにしたほうがいいと思う。

1)あなたが大事だから、否定に聞こえる言葉を発した


実は、あなたに幸せでいて欲しいから、大変な目にあって欲しくないから、愛情から、心配から、ネガティブに聞こえる発言をしているかもしれない

もしそうだと思えるなら、
「心配してくれてありがとう、やらないと後悔すると思うから今回はやってみるよ、応援して欲しい」

とか答えたい

まぁ、私だったら新しいチャレンジをすると聞いた時、まずその決断を応援の一言から入りたいし、途中で何か懸念をあげたとしても、最後は楽しんでね、で結びたい



2)知らないものに対する拒絶感、迷惑かけて欲しくないための否定

やるのはあなたなのに、否定する人は知らない物事に対する拒絶感や驚きから、否定的な態度をとるのかもしれない

万が一、迷惑をかけられたら嫌だなぁとさえ思っているかもしれない


知らない物事は不安があるので、そうやってけしかけられたら、あなたは新しいチャレンジに二の足を踏むかもしれない

二の足は踏んだっていいし、それでやめたくなるならそれもそれ

ただね、否定的な発言をする人は、あなたのチャレンジに経験があるのだろうか?

なければ、その人に細かく話して、否定シャワーをジャバジャバも浴びるよりも、先をいく経験者と話したほうがきっと有意義だろうよ

3)チャレンジができるあなたが羨ましい


否定する人は行動的な人だろうか?

その人もやってみたいことがあるのに、なかなか実現できなくてモヤモヤしているのかもしれない。

だから行動に移せるあなたが羨ましくてひねくれた態度をとっているのかもしれない。

応援してもらいたい気持ちもあるかもしれないが軽く話して、細かいところはその話がわかる人と話すのがスマートだろう


否定や反対を受けたとき、その表現の仕方に人柄が出るから面白い

否定や反対には感情が伴うから面白い

強い反応の中に、心配があったり、本当は羨ましかったり、自分が経験してないことを経験しようとしている事に焦ったり、、、

過去の否定や反対の場面を思い出すと実に面白い

例)海外旅行に行くとき、祖父母はいつも反対気味だった。
行かなくてもいいじゃないかって。

当時は少しばかり、祖父母のやめとけば?が面倒臭かった。

祖父母は海外旅行の経験がなかったし、私のことが可愛くて、心配だったから、大事だからこそ、やめとけばー発言だったと理解できる。








2019年の前半はメンタルが本当に最悪で、仕事が不安で焦っていて、怖くてたまりませんでした。

出来ていたことが出来なくなり、自分への不信感が募っていきました。

2019年の後半もずっと心身の状態が良いとはいえなく苦しい日々が続きました。


【また気持ちが明るくなり日々が楽しめるのだろうか?】
今まで経験した病気やケガは、ある程度治るまでの目安や対処が経験から自分でも分かっているので、良いのですが、、

精神的な落ち込みとそれに伴う体調不良はどれくらい休養すれば、良くなるのかわからない点では、結構重病な感じがします。

昨年を振り返り、これからを考えてみます。


【2019年は仕事に行かなくてよい理由ばかりを探していました。】

急性胃炎で倒れないか、ちょっとやそっとでは治らない病気になったり、階段から落ちてけがして入院したりしないか、そしたら会社に行かない大義名分ができるのに、、、

そんなことを常々思っている日々でした。

どれだけ願っても病気ならず朝が来て、絶望的な気持ちで電車に乗り職場に行っていました。


職場を離れても、仕事の事が頭を離れないので帰りの電車や家では今までやらなかったスマホゲームを何種類もひたすらやったりして気を紛らわそうとしていました。

異様だったと思います。


【気力がないと体はうごかないのですね】
休みの日は、気力がなく横になっているので精いっぱい。

家事をする気力もなく、健康のことを考える余裕もなく、おやつを食べたり、店屋物をとったりを繰り返していました。

頭の中は仕事の事ばかり、何も考えたくないのに、、、

苦しくて苦しくてたまりませんでした。

今までずっと気力で体を無理やり動かしていたツケが回ってきてどうにもならなくなりました。

あんなに苦しいことは、今までありませんでした。


【自分の気持ちに正直でなかったのが原因かな?】
HSPで放置否定型の毒親育ちの私は、

世の中の正解に近づきたい

そういう気持ちが強かったと思います。

自分の『休みたい、ゆっくりしたい』そんな気持ちに鞭ばかりを打っていました。

休みの日も、仕事終わりも、

自分磨きをしなければ!
もっと良い価値のある自分にならなければ!
意義のある休日を過ごさなければ!

という強迫観念に追い立てられていました。

家事や作業の効率化などについても、情報の亡者だったかもしれません。

長きにわたって心からリラックスすることができなかった。


【自分に鞭を打ち続けた理由】

そのままの自分でも十分価値があるとは、とても思えなかった。

これは放置否定型でヒーロータイプのアダルトチルドレンだからだろうな。


【これからどうしよう】
直会社組織に戻ると、マウンティングする人がいるし、

嫌な人と距離をあける自由があまりないことが多いし、

なにしろ会社組織に戻ってやりたいことがない。


この会社で働きたい、とか、こういう事をしたい!が会社でやるのがベストならそれがいいのかもしれないけど。

事実、会社組織というのは、さぼる人が得する感じなので、いい感じに仕事したりさぼれるくらいの人が向いているのかもしれない。

私は頑張っちゃうタイプなので、、、いいように利用されたり、踏み台にされることもあった。

悲しくてつらかった、そういう人たちと近くに居たくなかった。

【働いている自分を好きになれる?かがポイントかも】
嫌なことで稼いだお金はなーんか嫌で、働いている時間が辛くて、働いている自分が好きになれなかった。

好きなことで稼ぐお金はきっと嬉しくて、もっと工夫したくなって、働いている時間も楽しさがあって、それをやっている自分が好き、って思える部分があるんじゃないかなぁと思っていて、

私には、働くには好きの要素が必要だなってことだけわかった気がする。



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