ふと、私は学校に行きたくないという理由で、小学生のことだったか?朝ごねたことを思い出した
皆さんはどうだろう?
学校に行きたくない日は多少はあったんじゃないかな?
その時の親の態度はどうだろう?
張り倒してでも学校に行かされた人もいるかもしれない
私の場合、父親は「もう休ませろ!」と怒鳴り、私は学校に行かずに過ごしたりした
それも一回どころではなかった
実家から、私に関するものを前触れもなく送られてくることがあるのだが(勝手に破棄もできないけど邪魔だからかな、、、と思っている)、ある時私の通知表一式を送ってきたことがある
その中にも、欠席が目立ちました的な担任からのコメントがあったりした
当時の私は何を思って休みたかったのか、はっきりとは覚えていない
なんとなく行きたくないという気分なだけだったような気もするし、それを表す言葉が見つからないだけで、なんらか問題を抱えていたのかもしれない
私だけでなく私の兄弟もまた、学校があまり得意でなく、不登校気味だった
(私より休みがちだった)
兄弟もまた、行きたくない、と言うと「休ませろ!」と言うこととなり、欠席が嵩んで、休みの連絡を入れると学校は「あーまだですか」
くらいの応答だったから、母が入院して家事のヘルプで数ヶ月同居してた祖母は当時びっくりしたらしい
学校に行きたくない
→理由も聞かず、うるせーな、そんなんだったらめんどくせぇから休ませろ!
という態度は、休めてラッキーではあるけど、休みたい理由も聞かれず、めんどくさいことを棚上げする態度が、どんどん自分が我々兄弟がめんどうくさい存在だと繰り返しインプットされて行ったなぁと思う
過去は変えられない、他人も変えられない
父も変わらない
ちっとも理想の父にはならない
彼には彼の世界と積み上げてきた価値観がある(おぇーっ!
面倒が嫌いで、世の中に不満のあるおじさん
自分より弱い人を見下すことで自尊心を保つ老人
人に何かをしてあげることよりも、自分がいかに得をするかを大事にする
私はそんな人に養育されてきた
今はもう学校に行く必要はない
ただ会社に行きたくない気持ちに蓋をしてルールだからと通い、辛くない顔をし続けた
(自分の自尊心を保つためだったと思う)
苦しくてたまらなくなって、働くことが苦しいこと、お金は苦しいことの代償と無意識にインプットされている
自分の素直な気持ちを見ないフリをしたり、めんどうくさいと片付けてしまうと当時の父が私たちに繰り返したことのようになる
それでは意味がない気がする
嫌だなと思ったことを自分が自分にするようなもの
私は私や今の家族の気持ちに重きを置いて暮らして行きたいと思う
結局いつもと同じで、自分の気持ちに素直になるのが良いと思うという話になる