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アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

強迫観念

いつも良い自分で
なくてはならない

ダメな自分は
受け入れられない

スキルアップ
資格を取る
セミナー受ける

他人にすごいと認められる
自分にならなくちゃ

そんな思いが
すごく強い人がいる






そういう人は
その信念が育つなりの
過去の経験がある



強迫観念的な
生き方をしないと
やっていけない!
怖い!

いつも誰かの上に
いると思わないと
安心できない

休むのが怖い
休んでいたら
置いていかれてしまうのでは

そう思うだけの
出来事があったんでしょう





それは1つの
前に進ための
モチベーション


役に立った時も
あると思うのです



人生100年時代
それでずっと行くのは
しんどいと思った時は
その考えをゆるめる時。



権威性のない
趣味に没頭すると
違う視点が
得られるかもしれません。


水彩画鉛筆でお絵描きや
きのこ栽培キットで
自宅でしめじを
作るなどいかがでしょうか?


読んでくださりありがとうございます

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あなたにとって幸せとは何ですか?
今幸せですか?









本来幸せは
非常にシンプルです


なぜややっこしくなるのか?


一般の幸せは

健康
長寿
結婚
出産
育児
孫の世話
友達が多い
安定したキャリア
出世
高収入
外見が良いこと

などでしょうか?


常識と呼ばれる概念には
『認知の歪み』が起きやすいものです


べき、しなきゃ、と『条件付きの幸せ』を
求めて苦しくなってる人へ
今回は常識を疑う質問をしていきます



あなたの考え方に1ミリでも変化があれば
文末の拍手ボタンで教えてください



べき、しなきゃはなくて
世の中はもっと自由で
楽しくてあったかい場所です








健康じゃない人は不幸か?

というとそうではないでしょう?

ガンにかかって自分を振り返り
人間的に大きく成長することもあります







長寿じゃない人は不幸か?

成人する前に亡くなる人もいますが
100歳を超えて生きる人もいます

人生の長さだけでは
幸 不幸は決められないでしょう

長さもさることながら
自分が自分に納得できるか?
が大切です





結婚していない人は不幸か?

結婚して幸せになる人もいれば
不幸になる人もいます

独身ならば、夫とのイザコザ
義家族との揉め事は経験せずに済みます

結婚は向かないタイプの人もいて
開き直って人生楽しんでいたりします






出産は幸せか?

望まぬ妊娠に子供を
手放すお母さんもいます

産んだはいいが
どうしても子供が可愛いと思えない
と悩むお母さんも一定割合います




育児は幸せか?

上手くいかない、話の通じない我が子に
崩れた体型に悩むかもしれません
育児ノイローゼという言葉もあります


孫の世話は幸せか?

孫ができるかは子供の選択です
押し付けないようにしましょう

孫の世話が体力的にも気が重く
思い悩む高齢者もいます

正月親戚の来訪がつらい
静かに過ごしたい


お年玉をあげるのが厳しいという
お年寄りの話を知っています





友達が多いと幸せか?

人数ではなく、心から信頼できるか?
弱みを見せられるか?が
自分の心の安定につながります


お互いを大切に思える関係は
小さな輪でも良いのです





安定したキャリアじゃないと不幸か?

待遇が安定していても
したくないことを
毎日8時間✖︎5日すると
人生はたちまちつまらなくなるでしょう

自分に誇れる生き方であれば100点です




出世すると幸せか?

出世が原因で精神疾患になる人もいます

実力だけではなく、組織との相性や
運で決まる部分もあるので
出世しなければ!と気負うよりも

仕事を楽しむ姿勢を大切にすると

いいでしょう

孔子も最も優れた人は
知ってる人より上手い人より
楽しんでいる人と言っています




高収入な人は皆幸せか?

収入と幸せは必ずしも比例しません
お金はとても大事ですが
お金の色も大事です

いい気分でお金を稼ぎ
いい気分で使いましょう



外見が良いことは幸せか?

生まれつき外見が良い人はラッキーですが
自分が自分を好きでない人は
どこか魅力に欠けます

清潔感に加え自分らしさを大事に
内面に磨きをかけると
内側からどんどん美しさが
外ににじみ出て美しいオーラになります





さぁ、このブログを読んで
あなたのべき、ねば、しなきゃマインドに 
変化はありましたでしょうか?



幸せは
『色々あるけど私でよかった』
と思えることだと思います



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私は、素直な性格で、言葉を言葉通りに受け取りがちなところがあります。

加えて私は、毒親育ちです。

生物学的な父は電気代、電話代、水道代ガス代に大変口煩い人物です。

原家族では、そうした光熱費等を節約すべき理由や、数値的な話の説明もなく、ただ父の経済マウントと大声のがなりに嫌悪して我慢をする日々を送っていました


その影響は私の消費活動にも大きな影響があり、無意識に毎日を緊張感のあるものにしました


例えば水の流しっぱなし、電気のつけっぱなしには、聞こえもしない父の怒鳴り声が聞こえる恐怖を感じている自分がいて、とても細かく気にしていました

夫の食器洗い時に流れるままの水を見るだけで不安、無人の空間に電気がついていると気づくと、即座に消さないと不安


そうそう、数年前までは時々実家を訪れていました

実家の居間にはエアコンがありましたが、節電のためかコンセントが外され(待機電力がもったいないのか?)今は足先が硬くシーンと冷えるくらい冷たくなり、快適とは程遠かった

短い滞在時間で肩こり頭痛を催しそうになりました

そうそう、その家(私の育った家ですが、、)人間の快適さよりもお金が大事にされていたことを思い知りました

エアコンは電気代がかかるので特に目の敵にされていた電化製品でした

今は親と絶縁し、洗脳を解くべく少しずつ偏った考え方を解していっています

そんな今日今の住まいの自室にエアコンがつきました

仕事を辞め自室でヨガや筋トレやパソコン作業をすることが増えたので購入することになりました

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節水をすりこまれ、シャワーを浴びっぱなしで髪を洗うなどができなかった自分は少しずつ改善

この冬は、エアコンのトラウマに取り組むことになりそうです

エアコンをつける罪悪感が2021年の春には薄まってることを願います






今の旦那と同棲していた時は、女という役割にとらわれていた。
結婚してからは、妻という役割に対する固定概念にとらわれているな、と思った。
現在結婚10年目である。

【固定概念の出元は毒家や社会の刷り込み】
日用品の買いだし、調味料の残量に合わせた買い置きの用意、衣類の材質に合わせた洗濯、洗剤の予備の残量管理、玄関の掃除、食事の準備、食料品の買い出し、掃除、窓ふき、お風呂掃除、配水管の掃除、鏡の拭き掃除、それぞれの照明器具に合わせた替えの電球の用意、

その他もろも~ろ”円周率”のごとく、2人暮らしでも家にまつわる作業はたーくさんあるのだけれど、、、

これらについて、男性と女性どちらがやることがまず思いつくか?

女性だろう、そういう家庭(妻子の立場の低い毒家)、社会で育ってきたから。


だけど、実際は、絶対そうじゃなきゃいけないわけじゃない。

家庭によってはお父さんの方がきれい好きな家もあったかもしれないし、料理も週末はいつもお父さんがやっていた家もあるかもしれない。

(ふと思うが、お母さんの立場が強くて、お母さんが楽しそうに自分のしたいことをしている家で生活してみたかったかも?そしたら家庭に関する意識はだいぶ違ったと思う)


【私は勝手に自分の役割と思うことを率先して行っていた】

私は当たり前のように、毒家や社会の刷り込み通りにふるまおうと、同棲や結婚生活の中で自分の役割を増やしていっていた。

それが楽しいから、やりたいから、じゃなくて私がやるのが妥当だという認識があったと思う。

そういう風に(勝手に、でも、懸命に)役割を果たすことが自分の存在意義を確立する手段とも思っていたかもしれない。

例えば、
食事時が近づくと、何か用意しなきゃと頭の中が忙しない私。
ごみ箱がいっぱいになって、溜まったのを集めるのも私、捨てるのも私。
食材や日用品の買い出しも私。

思い返せば、常に家の中の気になったことを率先して行って、気が休まらずに疲れ、きつかった。


【大体なんで私がやってあげなきゃいけないの?という事も多い】
旦那が好きな欲しいものをつぶやいたら、私が覚えといて買ってくるとか、

彼個人の買い物なのに、なんで私が買っといて~と言われなきゃいけないのか?

気の使いすぎなんだと思った。

よっぽど余裕があって覚えていればでもいいのにすごく律義にやりすぎた。

最近は、旦那が何か言ったら「へぇ」、とか「いいと思うよ~」位に止めて
積極的に自分のやることを増やさないようにしている。


【特に食事を作るのが億劫で嫌い】
今までは、私の思うところのいい奥さんでありたいという気持ちが強くて、料理もかなり頑張っていたと思う。

最近は、自分の体力・精神力を削りながら、きっちりした食事を毎日作る必要はないなと思うようになってきた。

食事を用意することに関する精神力の消耗が激しい。

今まで頑張っていた下味冷凍なども、最初から味付き肉を買ってきて冷凍しとけばいいんじゃないかと思うようになってきた。

正直、下味冷凍はコスパ的にも良いと思っているけど、自分の労力もかかってて準備するのがしんどいな~って思う気持ちが常にあった。

栄養バランスは考えて食事はとりたいけど、品数をたくさん作るとか見栄えのする料理をつくるとか、そんな頑張りすぎなくていいや、とそう思うようになった。


【家事の勝手に頑張りすぎに気づいた】
私の夫は結婚当初から

「食事の事は気にしないでくれ、一度だって食事を作ってくれなんて言ってない」

と言いっていた。

これは私にとっては「でもさぁ・・・」と思う物言いで、何度も食事については意見の食い違いがあった。

これは毒家と、社会の固定概念から得られたイメージに過ぎないし、それに影響されるのは仕方のないことなんだけれど、

『私が食事作らないと』と自分の役割を、勝手に設定してその中で苦しみもがいていたのは私かもしれないと、少し思い返してみた。


毒家の影響から逃れ、より自分が自分の人生を生きれるように。

頑張りすぎないで、日々が楽しくなるように、自分に意識を向けてみる。
自分に優しく、日々の環境設定を整えてみよう。


関連記事:HSPで毒子の環境設定についてはコチラ

私は、毒親育ちだからか、お金について価値観の歪みが大きい。

毒父は家族よりも『俺の金』を大事にする人だから、今でも、私も無意識的に自分の快適さよりもお金がかからない事を優先してしまいがちなのだ。
刷り込みは本当に怖い。

ちなみに、この価値観の歪みに気づけただけでも私にとってはすごい進歩。

毒親からの解毒はまだ完ぺきではないし、目の前は暗く苦しいですが、

どんな毒に侵されているか、に気づけたのは一歩前進だと思っている。

自分が持っている、飲み物に関する日常生活の罪悪感・思い込み・強迫観念にまた一つ気づけたので、まとめてみよう。

【家のペットボトルのお茶やお水】
自分で家族用に買っているのだから、飲んで良いのに、自分は罪悪感がして気持ちよく飲めなかった。

夫はグビグビ飲むのだけれど。

だから、私は浄水器がついてる家の水道水を飲んだり、わざわざ体が疲れている時も自分用に麦茶をつくって飲んでいた。

(お水については、あるYoutuberさんの水を買うよりも水道水でいいのでは?という説に影響されていたのもある。)

でもこれもまた、冒頭の毒親の価値観に影響されて、自分自身の快適さよりも、ペットボトルのお茶やお水にかけるお金を優先していたんだと思う。

そんなもったいないと思わずに、飲みたいように飲めばいいのに。

【毒父に痛烈批判されるのが無意識に怖かった】
どうしてそういう行動をとっていたのかと考えてみると、その行動が恐らく毒父に批判、否定されるだろう行動だからだ。

「水なんて買ってやがるのか!くわ~もったいねー!馬鹿だねぇ~」
ととっても楽しそうに批判と絶対的な否定をしてくるのが易々と想像できてしまうのだ。

毒父は生活に居ないのに。。

こういう1つ1つの生活行動に毒家で培われてしまった、自己肯定感の低さが刻み込まれているんだなぁと思った。

非常に些細なことなんだけど、自分を大事に生きていくためにも、お茶もお水も飲んでいこうと思う。

すっごく地味だけどこれも解毒チャレンジの一つ。


私の解毒チャレンジのイロイロは、こちらのカテゴリーで記事をまとめていっています。



完璧主義が強い私の場合、自他ともに期待をしがちです。

期待通りにならなかったら、大きなガッカリにつながります。

じゃあ期待通りになった時はどうでしょう?

『思っていた通りになったな』と思います。

プラスに感じて、嬉しくなるというより、やっぱりね、と、こんな感じです。

期待の持ち方を少し工夫してみると、大きなガッカリが減るんじゃないか?と思ったのでまとめてみます。


【常識・標準・普通・平均を期待すると疲れる】
世の中には常識や、標準や、普通や、平均と呼ばれるあやふやな固定概念などがあり、それと同等であることを期待し、比較する傾向があると思います。

せめて平均点は、とか。
結婚平均年齢は男何歳女何歳、とか。
平均年収とか、標準家庭モデルとか。
平均寿命とか、男は青で女は赤とか、
男らしさ、女らしさ、
父親とはこういうもの、
母親とはこういうもの
会社は、上司って、先輩って、こんな感じ

沢山あります。

それらは良くも悪くも目安になり、せめてそれくらいであることを期待してしまいます。

それ以上だと安心して、それ以下だと不安になる人は少なくないかもしれません。

でも平均っていうのは、それ以上の人とそれ以下の人がいて、その数字に落ち着いているんです。

それ以下の人がいるってことを、忘れそうになりますね。。。

平均を単純にベンチマークするととっても疲れます。


【HSPの私は夢見がちで期待の持ち方が極端】
HSPの私は自分にも他人にも期待が強いのかもしれません。

例えば社会に出てからは、先輩社員、上司、会社はこんな感じだろうとか勝手に理想像を期待をしてはイライラしていたと思います。

自分の期待と違う反応があると腹立ててました。愚痴をこぼしまくっていた時期もあります。なのに、そういえば、

例「上司としてこうしてほしかった、あんな言い方するなんて傷つきました、こういう風に言ってほしかった」

とかは言った覚えがありません。

親に対しての期待はだいぶ裏切られてきているのに、夢見がちなものですねぇ。
私の勝手な期待が正義で正解のように、根拠もなく思っていたなぁ、と思います。
これも自分と他人の境界線が薄いという事の表れなのでしょうか。


【他人は変えられない、変えられるのは自分だけって、おかしくない?】
おかしいのは他人で、変わるべきは他人なのに、それをもってしても自分が変わらなきゃいけないっておかしくないか??と私は思っていました。

今もちょっとそう思っています。

人は自分の思うようにならないという事が心から分かったわけではないんですが、”当然こうだろう”という期待が強すぎると、自分がガッカリして気持ちのアップダウンが辛いことも事実です。

なので、自分のふとした感情や行動の中で、自分に対しても他人に対しても ”これは期待してるのでは?”と、考え直すように、”過度な期待”をしないように、意識を持っていこうと思っています。


【期待の強さをマイルドにしてみる、ガッカリの機会を減らす】
期待の強さを、自分も他人も『こうあるべき、しなきゃ、これくらい普通』一択から

から、

自分も他人も『こうだったらいいな』 位にマイルドに止めておくとどうだろうか?

あーら不思議、期待通りになった時嬉しく、期待通りでなかったとしても、『まぁしょーがないか』と思える気がします。




期待の持ち方をマイルドにする事で自分がガッカリする機会が減ると、

怒りや、憎しみ、後悔、無力感、徒労などマイナスの感情に心を占有される機会も減っていき、

全体的に気分が底上げしてくれたらいいな、、、と思います。




今は難しいけれど、自分に優しく、自分が自分の一番の味方になれますように。




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