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アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

毒子

断捨離を続ける中で感じたことは、こんなこと。

いらないものを買うと後がマジで大変(保有効果)

いらないものを買うと資源の無駄遣いになる(サンクコスト)

必要なもの、好きなものは、買う前も、使っている時も、使い終わっても幸せな気持ちが出てくる、はず。

必要なもの、好きなもので満ちている毎日に少しずつシフトしていきたい。
心から安心して満たされた毎日を過ごしたい。


【断捨離、捨てる、断つ、離れる】
断捨離って、私の場合は‬

捨てる 断つ 離れる の順番かな‬と思います。

物を手に入れるときよりも捨てるときのほうがよっぽど考えて捨てる気がする。
捨てる方が買うときより難しいのだ。

捨てる苦しみがあるから、いらないものが入ってくるのを断とうと思う。

物を断っていると無い状態でも大丈夫な自分に気が付いて、物への執着から離れる事が出来る。


【捨てるのは本当に難しいを体感した一例】
2020/3/6にブログに書いたのですが、長々手放すか迷っていた、某ブランドのストールを断腸の思いでフリマアプリに出したものの売れず、ずっと持っていました。

家の近くの質屋さんに見積もりを2件お願いして、それでもその値段に納得できなくて、、、

持ち帰って悩んでいました。

フリマアプリの出品金額を下げたりしながら過ごしていました。


もう質屋の値段でいいや、手放してこのモヤモヤとお別れしよう!

そう思うと、フリマアプリでいいね!が付いたりして決心を惑わせるのです。

↑同じような経験したことのある人いるかなぁ?


徐々に持ち続けている事のストレスに耐え切れなくなって、2020/4/17ようやく先日見積もりしてもらった近所の質屋さんで手放しをしてきました。

こういうのは「思い立ったが吉日」で実行しないとまた決心が揺らぎます。

その質屋さんは買取のお金を新札で用意してくださり、少し気持ちも晴れやかでした。


【保有効果を強く実感】
保有効果とは、自分が持っている物の価値を高く見積もりがちな人間心理の事を言うそうです。

今回この保有効果を強く感じました。

自分は使わないので本質的な価値はゼーロー!なのに、ほかの人に譲るときは、ほとんど使っていなかったこともあり、買った時に近い値段でないと譲りたくないのです。

そのストールは約6万で買いましたが、結局1万2千円で買い取られていきました。

ストレスが溜まりすぎ、以前からちょっと気になっていたものの、突発的に買ったので、買うときに6万円分の価値はそこでもうすでに得ていたのかもしれません。


【いらないものは本当に手に入れたくない、苦悩を呼び込むようなもの】

こうやって一度自分のものになってしまうと、私は強く執着してしまいなかなか手放しづらくなってしまいます。保有効果強すぎ!


いらないものは本当に手に入れたくないなと、再確認しました。


要らないとわかりつつ、捨てようや捨てまいか?また使うか?使えないか?んーどうやって使うか?

私は結構悩んで苦悩してしまうので、いらないものは本当に手に入れたくない。


保有効果で、いらないと思っても手放すのが大変になるうえ、
いらないものを買った金銭的コストや買うために使った労力、時間、保管スペースなどもサンクコスト(取り返しのつかないコスト)となってしまうからです。


【手放すか迷った物との緩やかなお別れ】
何か月も手放すかどうか迷ったとしても、迷った物って結局手放すんだろうなと思いながら、手放すのが難しい自分がいるんですよね。

使わなかったとしても、心のよりどころとしていたものと、時間をかけて迷いながらゆるやかなお別れをすることもアリかなぁと思います。

実は私は、手放しが必要と頭でわかっているのに、実行できない自分にもイライラ・モヤモヤしました。

無理に手放すとやっぱり手放さなきゃよかったかもと思うかもしれない。
でも手放すと思い出さないから、手放しはできるだけ早い方がいいんだろう。

そんな思いが行ったり来たりしつつ、
物によっては緩やかに時間をかけてお別れの気持ちを固めるのも、またいいのかもしれないなぁ。

すぐに手放せない自分にも〇をしてあげてもいいかもしれないなぁとも思いました。


【断捨離を繰り返しながら足るを知る】
私が、幸せに暮らすための物は、実はそんなに多くないのかもしれないと思いながら、日々を過ごしています。

シンプルなほうが、迷いがなくて幸せに感じるかも?
という感覚も断捨離を進めてきたからこそ感じるものです。

世の中にはたくさんの物があふれているけど、少ないもので、実はすでに足りているのかもしれない。

「あした死んでもいい片付け」 という本がずっと私の心に残っている。
実際読んでいないけどタイトルがすごく引き付けられる。

『あした死んでもいいように物を少なくしたい』

という気持ちが、自分がわからなくなった私の中で割とはっきりした気持ちとしてある。

少ない、迷いなく好きなものに囲まれて、この世に「さよなら~ばいば~い」ってしたい。



BS朝日の ウチ、”断捨離”しました! という番組が好きで録画してみています。

先日再放送?で、「嗚呼!思い出が捨てられない」という回がやっていて、転勤が多かったご家庭の、物を捨てられない母親と、3人の娘さんのお話をみて、娘さんの

家族で過ごすリビングを断捨離で昔みたいに家族集まりやすく過ごしやすい空間にしたい、

という願いが、HSPで毒子の私にはとーっても新鮮だったのでブログにしたいと思います。
(↑私は子供時代この感覚は全くなく、かなりビックリしました)

【母としては3人の子供を平等に扱いたい】
このご家族は子供が3人の3LDKにお住まい。

部屋① 上の子2人は1つの部屋を共有
部屋② 物置
部屋③ 家族の寝室

個室を持たない一番下の娘さんの私物がリビングに置かれている。

年頃の1番下の娘さんにも、平等にお部屋を持たせてあげたいというのが、断捨離の依頼者のお母さんのお気持ちの様子。

【捨てられないのは子供たちの昔の作品やお土産にもらった物など】
このお母さんが捨てられないのは、子供が小さかった時の物、彼女らが一生懸命書いた絵や、手紙など。

どれも捨てられずにでも雑然・漫然ととってある。

でも子供のころの思い出の為に、今の娘さんが伸び伸び暮らせないのは確かに本末転倒。

あとは友人知人からもらったお土産などなど、、、

まぁ、2,30年前は旅行に行く事が文化として根付いていなかったから、観光地のお土産の捉え方が今と全然違ったような気がします。

私の年代だと、キーホルダーとかがマグネットとか、記念品として形に残るものを!という意識が強かったかも?
星の砂っていう沖縄の砂や、北海道のまりもが入った瓶なんかもよく見た気がします。

確かに頂き物は理由なしに手放すのは気が引けるのは分かる気がします。


※HSP毒子の私の気持ち※
私なんて、私にまつわるもので実家に残っているものは、毒親はわざわざ突如郵便で送りつけてきたりする。

毒家からの郵便にろくなものはないので、何か送られてくると不気味でしかない。
どんな災害があっても無関心だし、私が家族だった、痕跡を消しにかかっているのかなぁと思うくらい、、、。(←HSPならではの深く考えすぎかも?)


【一番下の娘さんの願いはリビングでもっと家族が仲良く過ごすこと】
番組が進むにつれ、一番下の娘さんの本心が明らかになる。

実は彼女は自分の部屋が欲しいわけではないと言う。
もっと昔みたいにリビングを家族の居心地の良い空間にして、みんなで楽しく過ごしたい。

それが彼女の願いだそうだ。

それを上のお姉ちゃんと相談して、お母さんの気持ちも汲んだ形で話を持っていくことにするあたり、姉妹の中の良さもうかがえた。

私はもう、いろいろと『ビックリ仰天丸』となった。


※HSP毒子の私の気持ち※
私も3人兄弟で育ったし、転居の多い家庭だったが、平均して家の雰囲気はそんなに良くなく、リビングにはほとんど人がいなかった。

各個人が個室に籠っているばかりの家族で、会話や共通の趣味もなく、母一人が家事全般をやっていていつも辛そうだった。

手伝いを申し出ても断られたりするため、手伝いもしなかったな。

父親はすでにモンスター化していて、話すことは一方的で批判的、大声でうるさい。
母親とも会話が成り立たなかったのを記憶している。

父親とは意思の疎通が出来なくても、母親とは仲良しとか、
お母さんと服などを買い物に行くというのがうらやましかった。

私は10代の当時もっと家族で仲良くしたいなんてとても思わなかったから、番組中の中学生?の一番下の娘さんの本心にはとってもびっくりした。

まぁ当時も今も、私そう思わないのにはそう思わないなりの蓄積があるのだから致し方ない。

はっきり言って、私のせいじゃない。
そう感じさせるような家族関係ではなかったのだ。

こう思えるのは自分が毒親育ちと気づけたことが本当に大きくて、こういう家庭もあるのに何で当時の私は、この子のように思わなかったんだなんて、到底思わなくなった。



【断捨離をしてすっきりしたリビングで】
3姉妹とお母さんは爆笑しながら、子供のころの作品をどれを残すか?机の上に広げて選別していた。

お母さんも娘さん3人とも満面の笑顔で思い出話に花を咲かせながら、この上なくほほえましいエンディングだった。

※HSP毒子の私の気持ち※
おうちが物にあふれて汚くても、お母さんがこのおうちくらい笑顔だったら、何かちょっと変わってたのかな?

お母さんが不幸って子供に与える影響大きいと思う。

あとは密かに、お父さんの存在感が番組中ほとんどなかったけど、、、
おとうさぁーん!

今までずーっと休む事を悪い事と思っていた。

休む=絶対悪


休暇明けに、昼休みから戻るときにに、「お休み/休憩ありがとうございました」と言ったり、お土産を配るなどの行為は、「休んだことで迷惑をかけただろうから、、、」という響きがあるようにも思ったりする。



なんでだろう、なんでだろう、

知名度抜群の かの『皆勤賞』が悪いのかな?

全日程を100%出席したら、賞がもらえるという完璧さを素晴らしいとするその思想によって、私は、そして社会は休むことを良しとしなくなったのだろうか?



ふと、2020年4月に入って休むことを今まで程には、悪いことと思わなくなっている自分に気づいた。


【今までの私は体調悪くて会社を休んでも後ろめたさがとても強い】

社会人になって、環境の変化や体調の波で仕事を休むことはあったが、
その連絡をするのもとっても後ろめたく、何度も迷っては無理して仕事に行ったことは数知れず。

それでも今日は無理、、、思って、仕事を休む連絡をしても、
どう思われるかが気になって後ろめたく、仕事が気になって、
休むと休んだ後もっと仕事が大変になるんじゃないかなど、休んだ1日を過ごしたり、
携帯で会社のメールが見れるようになってからは、休みでも仕事のメールを見たり、、、

仕事を休んでも心から休むことができないでずっと来た。

休んでいても、もしかしたらもうちょっとがんばれば、仕事行けたんじゃないかと
なーんども逡巡したり。。

休むのは悪いことという思いが自分に無理をさせるのを当たり前にした1つの要因かもしれない。


休んだ日も仕事が気になって休んだ気にならないような仕事は、休む以前に常に自分に無理をさせていて、私にとってはキャパオーバーの仕事だったのかもしれない。



【こんな性格だから精神的に参って仕事を辞めたら、強力な後ろめたさが襲ってきた】
1日仕事を休むのも後ろめたくてたまらなかった私だから、仕事を辞めたら、強力な後ろめたさが襲ってきた。

働けるのに仕事を辞めた、無理すれば続けられたんじゃないか?
迷惑をかけた、自分は最悪の人間。

仕事をやめたからといってスッと楽になるという事はなく、グルグルと別の苦しみが襲ってきた。

(正直会社に行くのが精いっぱいで、精神的な消耗が激しくてつらくてたまらなかったから、続けることは不可能だったと思うけど)


【仕事を辞めて、自分が毒親育ちのHSPと気づいて1年弱たって】
家事に対する力の入りすぎや、べき、ねばならない思考に気づいたり、自分に〇をつけるように意識を変える努力をしたり、自分と他人の境界線を意識したり。

仕事をやめてあと数か月で1年、まったく会社員に戻って働きたいという気持ちは起きない。

仕事を辞めたから、後回しにしてきた自分の中に押し込めてきた感情に目を向けるようになってきた。

様々な葛藤があって、ようやく、休むのを悪いことと思う気持ちが少しだけ薄れてきた自分がいる。

今働いていない自分を肯定できる気持ちも少しだけ湧いてきた。


【人生は楽しむために、苦しくなるものを選ばない】

会社員としての生活は、苦しいことばかりだったから、戻りたくない。
つまり私は、会社員以外のキャリアを考えるときなのかもしれない。


人生を楽しむために、苦しいものを手放す、休みは人生が豊かになるものに使いたい。

仕事が終わったら、仕事のことを考えないくらいに自分中心の人生を送れたら一番いいな。

そんな理想の妄想をしてみる。


BS朝日の ウチ、”断捨離”しました! という番組が好きで録画してみています。

親の家の断捨離などを取り上げる事も増えてきていて、毒親育ちの方にも興味深い内容ではないかなと思います。

番組内では、片付けにともなって生活の悩み、家族間の見ないふりをしていたイザコザなどが表に出てきて、普段は家の恥をさらすようなことをしない日本社会において、非常に興味深いのです。


2020年4月6日(月)放送の「孫といつまでも!ジイジの大奮闘記」という回が非常に心に響いたので、今回ブログ記事にしておきます。

あぁ良い親っているんだなぁ、そういう人と接していたら自然と親や家族を大切にしようと思うだろう

それが私の素直な感想です。


【こんな素直なおじいちゃんがいるんだ、とビックリ】
おじいちゃんは3人の子供と、孫たちがいるんだけど、小さなお孫さんが遊びに来てくれる時に、安心して遊べる空間にしたいと1階の断捨離を決意する。

断捨離の提唱者であるやましたさんのアドバイスを聞く姿がとっても素直。

一切の反発もなく、女性で年下のやましたさんのいう事を素直に聞き入れる姿にびっくりした。

「これは使っている、高かった、もらった物だから」とかそういう断捨離に対する反発、それを所有していることを正当化する言葉が一切無くてとても素直。

※HSPで毒子の私の場合※ 
残念な我が毒父ではありえないだろう、そもそも話を最後まで聞くことがないだろう。自分を正当化する言い訳ばかり大声でがなりたてるだろうな、想像するだけで不愉快になるなぁ、不要な物という毒に埋もれた毒家の王さま、毒父。


【苦労のない家族はないけれど、こんな関係の家族もいるのだなぁ】
この穏やかなおじいちゃんは、一人お子さんを亡くされているそうだ。

そのお子さんと一緒に買った自転車を、物置部屋となっている部屋の天井につるして飾っている、ずっと長い間、30年以上と言っていたかも?


でも今回、孫たちと安全に楽しく遊べるようにと1階の断捨離を決意する際に、自分の生きている3人の子供たちに相談して、ついにこの自転車をおろすことにした。


その決断の過程がとても人間らしく心惹かれるものだった。
子供のうちの一人がその自転車を貰い受けたいと言ったのだ。

兄弟の仲の良さもうかがえるし、おじいちゃんは十分亡くなられたお子さんに思いを寄せられ、そして今生きているお孫さんたちを大切にする気持ちで、決断をされたのだ。

お子さんたちと相談して決める、それはその子供たちにとってはなくなったお子さんは兄弟なので、そう思えばまぁ自然なことなのだけれど、でも男親が子供に相談というのが新鮮だった。


※HSPで毒子の私の場合※
毒親と交流は断絶されているため、親から相談なんかあり得ないなぁと思う。私が仕事を辞めたのを聞きつけ、連絡して来たきりだが、不愉快すぎて無視したままだ。人を馬鹿にして喜ぶあんな奴からの連絡、不快でしかない。


【おじいちゃんのナチュラルな誉め言葉】
おじいちゃんは、歳なので力のいる作業など同居の男のお孫さんに協力してもらう場面が出てくる。

その中で、おじいちゃんから自然と出てくる誉め言葉の数々に私は驚いた。

これだったら、思春期の孫も素直におじいちゃんに協力するだろうな。

例えばおじいちゃんは、孫に大型家具の解体をドリル?を渡してやらせてみるのだが、
「うまいうまい、○○(お孫さんの名前)は上手だなぁ」
と当たり前のように声をかけるのだ。

テレビの撮影があるからではないだろう自然さがあった。


※HSPで毒子の私の場合※
からかいや馬鹿にしてるかの調子で褒められてもちっともうれしくない。
むしろ努力した事が空しくなるような気持になっていた。

こんな風に日常生活の色々な場面で、そのままの自分を認めてもらえていたら、自分に無理をさせて、それでも足りないと疲弊する日々を過ごさなかったかもしれない。


【こういう家に育ったら、親を大事にしたいと思うだろう】
このおうちは物が多くて、その点では私の生まれた毒家と同じだけれど、家族仲がとても良く見えた。

おじいちゃんは素直だし、家族をほめるし、息子さんはおじいちゃんを喜ばせ元気になってほしいから、孫をできるだけ毎週おじいちゃんの家に連れてくる。

同居している年頃の孫も素直におじいちゃんの断捨離に協力する。

毒親育ちの私でも、もし、このような家に生まれ暮らしていたら当たり前に家族は大事でかけがえのないものだと信じて疑わないだろう。

だって、温かくて優しさがあるから。

※HSPで毒子の私の場合※
私が親を毒親と思うのも、もちろんそう思うだけの散々たる思い出の実績がある。
無理をして良い親子関係にを追及して傷を深めるのを辞める事が出来ただけ、成長したと思う。

【良い親って本当に要るんだなぁ】
この番組をみてただただ、世の中には本当に良い親っているんだなぁと思って、毒親育ちの自分が余計悲しいような、でもそういう家があってくれてよかったと思うような、複雑な気持ちになった。


昨今のコロナ感染症の社会不安から、急に毒族No3.から連絡があった。

送られてきた文面をみた途端気持ち悪くて、拒絶感がすごくて、自分でもびっくりするほどだった。

【毒族からの連絡と素直な私の感情】
心配してる風の文面だが、一人暮らしの私(毒族No3)を心配して、とでも言わんばかりに感じて、

私はとてもじゃないけど嬉しいとも、温かい気持ちにもならなかった。

それが毒族と積み重ねてきた時間の結果なんだと思う。

生き延びてね、って、あなたに言われてもねぇ。


毒族メンバーとの交流は毒家の思い出が噴き出すトリガーになり精神的な圧迫が大変強い。


仲の良い親族経由で毒族の近況などが耳に入ると、すぐに激しくうんざりする気持ちが即座に出てくる。


【毒親育ちと自分を認められてよかったこと】
今回、今までと違ったのは、家族との交流や連絡を嫌がる自分を否定する気持ち、自分は酷い人間なんじゃないかと、自分を責める気持ちが出てこなかったこと。

これはたくさん泣きながらも、毒親育ちと認識ができてきたからかな。



【拒絶感を感じるにはそれだけの理由がある】
生き方の価値観が違いすぎて、一緒にいるのがとてつもなく苦痛、何かを共有したり、前向きなものが生まれる要素がないのが毒族。


それぞれの価値観で、バッラバラに生きてる。

もうそれでいいと思う。

家族仲良くとか、そういうレベルではないのだ。

それが私の置かれた今の現状。


今日はリラクゼーション音楽を聴きながら、断捨離をしています。

ヒートテック1枚、レギンス1枚、オーガニックコットンのTシャツ2枚を手放すことにしました。

売れそうにないし、服としてのお役目は果たしたご様子(ありがとうお疲れ様です)なので、掃除用に切ってウエスにしています。 

ウエスはハギレの事で、雑巾と違ってちょっとした掃除に遠慮なく使ってすぐ捨てます。

今はちょっと休憩中です。

【服を切ってウエスにしたとき】
私は切ったウエスを3か所に配置しています。
どこもちょっとした汚れが気になった時にサッとふけるように。

私はHSPで視界がごちゃごちゃしていたり、汚れがあると心理的にソワソワ落ち着かないので、出来るだけこまめに掃除できる環境を作っています。

↓ウエスの置き場3か所↓
★キッチン開き戸★
キッチンのちょっとした汚れが気になるときフキンとちがって使用後洗わないでいい
コンロの掃除や壁の飛び散りなどこまめに拭くのに便利です

★洗面所引き出し★
洗面台や鏡の汚れをサッと拭く、洗面所の床を軽く水拭きする
お風呂の排水溝の髪の毛をつまんで捨てるなど、日常的に使用してキレイをキープ

★TVボードの引き出し★
TV台の上や壁面ボードの棚、リビングの巾木などふと見ると埃が溜まっている時に使って視界がきれいで整っている状態を維持。


【自分を大切にする、が、わからなければまずは環境を整える】
私はHSPで毒親育ちなので、自分を大切にする方法がわからなく、モヤモヤする時期が長くありました。

今も分かったとは言い切れるかどうか?ですが、私は視界が汚いと落ち着かない性格なので、体力気力が許す日は、掃除をよくしています。

掃除の為の物を増やしてしまうとまた管理が大変になって疲れてしまうので、あるものを使った手軽な掃除がおすすめです。

いらない服はウエスにして”使いやすい場所にストック”しておくと、気になった時にすぐ掃除できるのでお勧めですよ。





自分が自分の味方でいられますように。
ネガティブでもいい、自分が好きって自分が思えますように。

2月にコーヒーをやめたこと(コチラ)に続いて、4月はお菓子を買わないようにしてみてる。

いやーいつまで続くかはわかんないけれど、、、。

正直オフィスワークによるストレスの解消に週末出かける気力もなくなってきてからは、せめて

週末は『カロリー贅沢』を!

と好きな高カロリーなものばかり食べて休みを過ごしたりしていた。

自堕落な日々だったけど、あの頃はきっとそうするしかできなかったんだろうな。

お菓子と私を振り返り、これからを想像してみる。

端的に言うと、これからはお菓子との関わりを変えて、その分の時間を別の事に充てていきたい。


【お菓子は一時の快楽に過ぎず、一生ものの幸せには結び付かない】
しょっぱいもの、甘いもの、ストレスをジャンキーなものを食べることで発散していた。

一時的に心も体もハッピーになれる。

結果、体にはセルライトや脂肪がついて今の自分は『自分の体が好きとは言えない』。

お菓子は一時の快楽ではあるけれど、一生ものの幸せには結びつかなさそうですわ。


【お菓子を食べるならこれがいい!を選ぶ】
お菓子を食べるなら、どうしてもこれがいいというものを食べたい。

食べる前も、食べた後も、あれを食べたなぁ、と思うような。

高級かどうかは置いておいて、心に残るお菓子。


【お菓子を食べないと減るもの】
お菓子を食べないと、お菓子にまつわる様々な事が減る。
判断や時間が減るので、頭が休まる。

例えば、
お菓子を食べるか?食べるとしたらどのお菓子を食べるか?いつどのくらい食べるか?

歯磨きの回数、お菓子を選ぶ時間、お菓子のゴミを捨てる時間、お菓子を食べたことによる後悔の時間、余計なカロリー

などなど

HSPだからか、いろんなことを考えて、頭の中が忙しい私にとっては、判断の回数が減ること、頭が休まることはいいことだ。


【お菓子を食べることに替わる楽しみは?】
何かをやめると、新しいことを無理なく取り組む気力が出てくるものだ。

最近のマイブームの電子データの断捨離で、過去の写真やスクショ、動画を整理して自分に向きあうのも楽しい。

今はあまり自分の体型を好きとは言えないけれど、無理なくできることの積み重ねで、将来の自分にもっと自分が好きって思える体をプレゼントできるといいな。



もしかしたら、HSPだからか、私は『優先順位をつける』をよく理解できてなかったかもしれないデス。

あれあれ、私って社会人経験何年だっけ??

優先順位をつけると言うととってもかっこいいんだけど、よくよく考えたら目的に対して、優先順位が高いものから手をつけて、低いものは後回しにすると言う事なんですよね。

なんで優先順位をつけるかと言うと目的を効率的に達成して楽をする為なんですよね。

だけど私は優先順位をつけると、結局全部やらなきゃいけない!と思って、
だんだん追い立てられるような気持ちになってしまうと言う事象が常に起きていました。

HSPだからかな?


【優先順位が低いことはやらないでもいいかも?】
よくよく考えたら優先順位が低いことは、
もしかしたらやらなくていいかも、堂々と後回しで良いことなのかも。

じゃあ、先を見ると不安になって焦っちゃう私の場合とりあえず見えないように隠しちゃってもいいのかなぁ。

【完璧にできなくてもまぁいいか、、、】
絶対に完璧にしなければならない!って常に思っていたなぁと過去の自分を振り返ります。

だからいつも気が抜けなくて、歯を食いしばったような、自分に鞭を打つような日々を過ごしていたんだと思います。

今は仕事もしていないし、できなくてもまぁいいかで、自分に期待をかけすぎずに暮らしてみたい。

【今の優先事項は体と心をゆっくり休める事】
心豊かな人生を送るという目的の為に、今の私は、
板についた頑張り癖とお金優先主義をすてて、体と心をゆっくり休める事が優先事項だと思う。

家事や料理は最優先事項じゃないから、体調によっては後回しか、やらない又は、人に頼ってもいいってこと。

【できないことに対する罪悪感が減ってきた】
今までは旦那が料理をしてくれても、常に罪悪感があった。

旦那は旦那で料理を楽しんでいる様子だったし、私が作れない事を責めたりはしない。

でも、本当は妻の女の私がやらないといけないのに、やらないから旦那がやったんだって、自己否定・自己批判していたんだと思う。

具合が悪くてできないのに、自分のせいじゃないのに。

だけど最近は、料理が出来ない日の自分を否定しなくていいってようやく少ーしだけ思えた。

私だけじゃなくて、どんな人でもそんな日はあるよね。



この心境の変化は、日々自分に優しくを考えていたから起きたのかもしれない。

他人に親切に、他人の得を考えるばかりで自己犠牲が当たり前の今までから、

これからは、自分に優しく、自分の幸せを考えて暮らしていきたい。

今はコロナウィルスが感染を広げる中、家にとどまることが推奨されています。

孫氏の兵法で言うところの四路五動、で言うところのその場にとどまることが最も優れた戦術であるという状態だと思います。


(ちなみに、四道五動とは、進・退・左・右の四路に対し、前進・後退・左往・右往とその場に佇むことを含めた五つの動きを五動と表しているそうです、へぇ~ですよね)

四道五動って、時間貧乏性の私とブログ記事を書いたこととちょっと関係しているなぁなんて思います(コチラ)。


実を言ってしまえば、
今回のコロナウィルスに関係なく今の私はあまり活動的なタイプではないのです。

HSPで毒親育ちの為、周りの目が気になったり、心配や焦りが先に立って不安な時間がすごく多く、仕事を辞めて家にいても何かせずにはいられない、でも体が心が思うようにいかない期間が長く続いていました。

メンタル不調やHSP関連のSNSを見ながら、私の心に引っかかったのは「今を生きる、今に意識を置く」というテーマの物でした。

何人もの人が「今に集中すれば不安がなくなる」というような投稿をされていました。



【今を生きるって?全然しっくりこない】
今を生きるって、私にとってはあいまいな表現すぎて全然しっくりきませんでした。

自己肯定感の低い私は、過去に生きて、そして未来の不安と焦りに苛まれて日々を過ごしているからです。

今を楽しむ心の余裕もなければ、自分が楽しんでいいとも思えない。

例えばこんな感じ、
::過去::
毒親にされたこと、傷ついた自分、過去の失敗、過去の栄光、もっとこうすればよかったのかもと?どこから間違ったんだろう? ナドナド じゅげむじゅげむ~

::未来::
ちょっと先の外出予定が不安、明日の食事どうしよう、あの家事をして、でもあれもやって、これもやらなきゃ、あの食材を何に使おう、これを買わなきゃ、ごみ捨てなきゃ、あそこ掃除しなきゃ、この先人生どうしたらいいんだろう? ナドナド じゅげむじゅげむ~


【今を生きる、を実感した時】
3月に親戚からたくさんの新タマネギが送られてきました。

ある日、タマネギを粗みじん切りにして、ひたすら、ずーっとバターで痛めてあめ色になるまで過ごしました。

その間何にもほかのことをせず、ひたすらずーっと、あ、時々スマホはみてたけど。

でも、『今タマネギを炒めること』だけをしている時頭がすごく休まる感覚がありました。

ぼーっとするという感覚をすごく久しぶりに感じました。

これが今を生きることなのかな?と思いました。


【同時作業は頭がとても疲れるので今は控えよう】
今思えば、私は台所に立つときつい、ちょっと時間が空くとその間にこれを切って、レンジにかけて、ちょっとここを拭いて綺麗にして~などなど、と欲張ってマルチタスクをする傾向がありました。

それで結局忙しくてプチパニックになっていたのかもしれないと思います。

関連記事:HSP毒子のマルチタスクに関する記事はコチラ

【日常生活の音が 案外心地いい】

やることを減らすことで、今の1つ1つに気持ちを寄せる事ができるなぁと最近は思う事があります。

例えば今日、心地い音だなぁと思ったのは、つぎの2つ。

自分がベランダを掃くほうきの音
規則的なほうきの シャ、シャという音が気持ちよかった。

卵を茹でるお湯の沸騰した音
ボコボコという音が、何とも平和的で安心感があった。

いつものように、次に何しよう、この間にこれをやろうとか、あれもやりたいこれもやりたい、と急ぎながら暮らしていたら、こんな風に思わないと思います。

きっと、
「べランダを掃くのもなんで私ばっかり、でも汚いのは嫌でたまらないし」
「卵を茹でている間に別に何かできるんじゃないか?」
そんな風に思っていたと思うのです。

【今を生きるって、何もすごいことじゃないのかも】
今の自分を肯定して、今起きている気持ちの揺れ動き、今目の前にあるものに集中することなのかも。

そうすると、自分を誰かや何かと比べたり、怒りや不安や寂しさやイライラ、焦りが、少しだけ薄れるような気がしなくもないような、、、。

今に生きるって、まだはっきりわからないけど、

今日のベランダ掃除のほうきの音と、卵をゆでる沸騰したお湯の音はなんかすごくホッコリしたし、

その時に意識があるからこそ、気づいて気持ちいいと感じた音なのかなと思いました。


いままでたくさん自分に厳しくしてきたので、
自分に優しく、自分に快適を選び取っていきたいです。


今の旦那と同棲していた時は、女という役割にとらわれていた。
結婚してからは、妻という役割に対する固定概念にとらわれているな、と思った。
現在結婚10年目である。

【固定概念の出元は毒家や社会の刷り込み】
日用品の買いだし、調味料の残量に合わせた買い置きの用意、衣類の材質に合わせた洗濯、洗剤の予備の残量管理、玄関の掃除、食事の準備、食料品の買い出し、掃除、窓ふき、お風呂掃除、配水管の掃除、鏡の拭き掃除、それぞれの照明器具に合わせた替えの電球の用意、

その他もろも~ろ”円周率”のごとく、2人暮らしでも家にまつわる作業はたーくさんあるのだけれど、、、

これらについて、男性と女性どちらがやることがまず思いつくか?

女性だろう、そういう家庭(妻子の立場の低い毒家)、社会で育ってきたから。


だけど、実際は、絶対そうじゃなきゃいけないわけじゃない。

家庭によってはお父さんの方がきれい好きな家もあったかもしれないし、料理も週末はいつもお父さんがやっていた家もあるかもしれない。

(ふと思うが、お母さんの立場が強くて、お母さんが楽しそうに自分のしたいことをしている家で生活してみたかったかも?そしたら家庭に関する意識はだいぶ違ったと思う)


【私は勝手に自分の役割と思うことを率先して行っていた】

私は当たり前のように、毒家や社会の刷り込み通りにふるまおうと、同棲や結婚生活の中で自分の役割を増やしていっていた。

それが楽しいから、やりたいから、じゃなくて私がやるのが妥当だという認識があったと思う。

そういう風に(勝手に、でも、懸命に)役割を果たすことが自分の存在意義を確立する手段とも思っていたかもしれない。

例えば、
食事時が近づくと、何か用意しなきゃと頭の中が忙しない私。
ごみ箱がいっぱいになって、溜まったのを集めるのも私、捨てるのも私。
食材や日用品の買い出しも私。

思い返せば、常に家の中の気になったことを率先して行って、気が休まらずに疲れ、きつかった。


【大体なんで私がやってあげなきゃいけないの?という事も多い】
旦那が好きな欲しいものをつぶやいたら、私が覚えといて買ってくるとか、

彼個人の買い物なのに、なんで私が買っといて~と言われなきゃいけないのか?

気の使いすぎなんだと思った。

よっぽど余裕があって覚えていればでもいいのにすごく律義にやりすぎた。

最近は、旦那が何か言ったら「へぇ」、とか「いいと思うよ~」位に止めて
積極的に自分のやることを増やさないようにしている。


【特に食事を作るのが億劫で嫌い】
今までは、私の思うところのいい奥さんでありたいという気持ちが強くて、料理もかなり頑張っていたと思う。

最近は、自分の体力・精神力を削りながら、きっちりした食事を毎日作る必要はないなと思うようになってきた。

食事を用意することに関する精神力の消耗が激しい。

今まで頑張っていた下味冷凍なども、最初から味付き肉を買ってきて冷凍しとけばいいんじゃないかと思うようになってきた。

正直、下味冷凍はコスパ的にも良いと思っているけど、自分の労力もかかってて準備するのがしんどいな~って思う気持ちが常にあった。

栄養バランスは考えて食事はとりたいけど、品数をたくさん作るとか見栄えのする料理をつくるとか、そんな頑張りすぎなくていいや、とそう思うようになった。


【家事の勝手に頑張りすぎに気づいた】
私の夫は結婚当初から

「食事の事は気にしないでくれ、一度だって食事を作ってくれなんて言ってない」

と言いっていた。

これは私にとっては「でもさぁ・・・」と思う物言いで、何度も食事については意見の食い違いがあった。

これは毒家と、社会の固定概念から得られたイメージに過ぎないし、それに影響されるのは仕方のないことなんだけれど、

『私が食事作らないと』と自分の役割を、勝手に設定してその中で苦しみもがいていたのは私かもしれないと、少し思い返してみた。


毒家の影響から逃れ、より自分が自分の人生を生きれるように。

頑張りすぎないで、日々が楽しくなるように、自分に意識を向けてみる。
自分に優しく、日々の環境設定を整えてみよう。


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