毒子でHSPの私は相談することが苦手だ。
相談して物事が好転した経験が少なすぎるからかもしれない。
私みたいな人は、『誰かに相談しないでよいメンタルが保てる環境』にいるようにしたほうがいいかもしれない。
または、
相談する目的をはっきり持って、落ち着いて相談する相手を選ぶのがいいのかもしれない。
【毒親は子の相談に乗らないばかりか、馬鹿にする】
私が子供だった時、相談相手の多くは毒親だった。
毒親は相談したところで力になるそぶりがない、真摯に話を聞かない。
悩んでいるところに、「うぁ~いやになっちゃうね~くっだらね~」などと、悩んでいること時代がダメなことのように追い打ちをかけるので、すっかり相談するのが嫌になってしまった。
かわいそうな子供だった。
【家族以外に相談するのも気が引ける】
恥ずかしい、うまく説明できない、迷惑じゃないか、理解してもらえないのでは、否定されたらいやだな、アドバイスを押し付けられて頭が混乱するんじゃないか、
問題は解決しないばかりか、心を開いて話したことが、周りに広まって良くない結果となるんじゃないか?
そんな風に思う。
【仕事の相談もあまりいい思い出がない】
仕事の相談も、勝手にメールのCCを増やされたり、困っていることを広められて、いやな思いをしたことが多い。
仕事を辞める時に「相談してくれたらよかったのに」と言ってくれる人がいるが、じゃあ相談したら何してくれたんだ?と思う。
相談したところで、やめるに至る原因はそうそう消し去ることはできない文化的な事柄だったり、体制的な事柄だったりするので、誰に相談してもどうにもならないだろうと思う。
【困ったときに「人」に相談するのは、「人」を選ばないとダメージを広げるだけ】
私の場合は、今までの人生で相談をしてすっごく物事が好転した思い出より、
つらい思いをして勇気をもって相談をしても嫌な思いをしたことのほうが多い。
(例えば会社でハラスメントの被害の相談にのってもらっていた相談相手の年配の女性が、親身にしてくれていたと思ったのに手のひらを返したように不当な人事を画策していて私が異動されるなど、、、今思ってもひどいね。)
だから、困ったときは人に相談というのは、「人」ってだれかが特に重要なんだろうと思う。
相手がその困っていることに何か造形が深いことや、その人に話すことで得られるメリットが思いつかない限り、話すだけ無駄じゃないかなと思う。
「人」は相談されると何らかのアドバイスをしようとするので、その押し付けがあったりして、厄介になったり、
相談内容をまたほかのだれかに相談するなどして広めてくれちゃったりして、やりづらくなる。
結果自分のダメージが広がるだけとなる。
【相談相手を間違う=腰が痛いのに、眼科や皮膚科に行っても治してもらえないようなもの】
腰が痛いなら、整形外科に行くなりするのがいいんだけど、眼科や皮膚科に行っても腰痛はよくならないだろう。
相談もきっと相手を選ばなければ状況は好転しないと思う。
相手を間違うと、
”わかってもらえない、状況が改善しない、
説明の仕方が悪かったのだろうか?勇気を出して相談したのに!”
などのフラストレーションをためることとなり、自分のエネルギーをさらに浪費してしまう。
【できるだけパニックにならないようにしたい】
私は、精神的に余裕がなくなりがちで、焦りや不安を感じやすい性格なので、
できるかぎり、パニックになるような状況に身を置かないようにしたいと思う。
むやみに相談やカウンセリングを受けると、私の場合混乱してしまうだろうから、
解決したいことの優先順位を少しづつつけてからのほうが納得のいく相談ができるような気がする。
【パニックにならない自分が快適に思える環境整備】
何にしろ自分が焦らずに安心して過ごせる時間を少しずつ積み重ねて、
心身が健康でいられるように、、小さなことから、環境整備をしていこう。