selectively_slow

アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

父親

江戸時代の結婚観は

妻からは離縁できない

社会だったみたいですね



30年前~の結婚観は

こんな感じだったと記憶しています

  • 結婚していない人は何かおかしい
  • 結婚して一人前
  • 結婚には夫の胃袋を掴めばよい
  • 30歳で結婚しなかったら晩婚
  • 子どもが出来なければ離婚させられる
  • 子どもが出来たら女性は仕事を辞める

など




今はだいぶ変わって来ています





世代が近くても

着実に普通や当たり前は

変わって来ているので

親世代の結婚観と

自分の結婚観は違うのは

当然でしょう





親の世代は

  • 結婚とは我慢
  • 結婚は墓場
  • 夫の三歩後ろをついて歩く
  • 夫には歯向かわない
  • 夫>妻
  • お金を稼ぐのは父親の仕事
  • 家の事、家事料理、育児は母親の仕事

といったところでしょうか




私の世代の結婚観

  • 結婚しても仕事は続ける
  • イヤだったら離婚
  • DV相談窓口いっぱいある
  • シェルターもある
  • 料理は夫もする
  • 夫も育休をとる
  • ベビーカーは夫も押す

価値観は変わっていくから

親と話が合わないのもしょうがない

心の境界線をひいて

あのカップルは

そうなんだなー位で

スルーしとくのが

吉なんだろうなって

思うようになってきた




思春期の頃、母が父に

家事がきつくて

毎日父に馬鹿にされる事に

腹を立てて珍しくキレた時

父は母のことを

「ノイローゼ」と私たちにいい

「ヒステリーババアだ」と笑いながら

父は小学生の男の子みたいに

部屋を出て行った

この場面が私の中で衝撃だった




私だったらこんな扱いされたら

嫌でたまらないけど

それから20年近くたっても

別れるそぶりもない


両親は決して理想の夫婦ではなく

どちらかといいうと

ああはなりたくないわ

の方だけど

まぁ夫婦関係は謎だなぁ


世代間の価値観の違いでしょうかね



父親が50歳頃の話です

ほーんと情緒は

小学生なんだろうな

と思った方が

気が楽なのかもしれない


読んでくださりありがとうございます

この記事が面白かったら
拍手ボタン

(何回でもどうぞ!)

Youtubeもやってます
チャンネル登録してもらえたら

とっても嬉しく励みになります
頑張らない子 - YouTube 

私が学生だった頃の絶句体験です

興味がある人だけお読みください

テーマは
父親に『死にたい』と言われた時の話






父が50歳位の時

社会人として壁に

ぶち当たっていたのかな?


父は長子だった私に

『俺なんて生きてても意味ないんだ

  いなくなった方がいいんだ』

と言いました




いつもキレ症の父でしたが

1回だけ弱音らしい弱音を

吐きました





私は父が嫌いだったので

『えー--死ぬなんて言わないで~

お父さん大好き~いなくなったら嫌だー』

とか言ったほうがいいのかなぁ?と

思ったものの

何も言えませんでした





それまでは

強くて自己中な

憎たらしい父だったので

そんなことを言われて絶句!!!

でした。。。




で、その後20年近く

父は図太く生きています





会社員を辞めた後

個人で仕事を始め

その翌年には

会社員より

儲かったなどと

吹聴していたので

キテレツおじさんながら

わが父の人間としての逞しさは

半端ないなぁと振り返ります




さて父はあの日私に

あんなことを言ったこと

本人はもう忘れているのかな?

キツかったよ~あれ




読んでくださりありがとうございます

この記事が面白かったら
拍手ボタン

(何回でもどうぞ!)

Youtubeもやってます
チャンネル登録してもらえたら

とっても嬉しく励みになります
頑張らない子 - YouTube 

今日は私の毒家族との
関係について

ふと思い出したことが
あったので

振り返ってみます。

そして

可哀想だった
辛く不快だった
子供時代を感じ切り

認知を修正していきたい
と考えています。



私は質問されると
緊張します


責められているような感覚を
覚えることが少なくないのです



それはなぜか?








実家に住まわせて
もらっていた時に


日常的に質問の形をとった
けなしを受けていたからではないか?


と考えたらスッキリしました。


具体的には、父からニュース等
時事的なことについて
が多かった気がしますが


○○って知ってるか?

と聞かれ

○○かな?とか
よく知らない、聞いたことない

と答えるのです


大人が気にするニュースと
子どもが気になる物事は
全然違いますから
当然のことです。


父は

「うぁ~やだねー
そんなことも知らないの!?」

と嬉々として
ミスを見つけて指摘して
喜ぶかのように
馬鹿にしてきていました。




そんな感じだったので
その後の父の説明?
知識のひけらかし?


には全然集中できずでした


そもそも○○に子供は興味はない
というようなトピックで
子どもの発育に合わせた
話題選びではなかったように思います


こうした日常から


質問される=馬鹿にされる前段階


という脳の回路が
出来上がっていったんだと思います






これは父の
コミュニケーションスタイルです

好意的に見れば父が
自分の知っていることを

子どもに教えてあげる
きっかけとしての質問とも取れます


子どもと会話したくて
話しかけたくてとっていた
行動かもしれません



ですが私はそのことによって
父とのコミュニケーションは
傷つけられるものという認識が強くなり



今も父は自分の
優位性を確認するため

私たち家族を馬鹿にするために
話しかけていたのかな


と感じます


誰かが知っていることを
自分が知らなくても問題ないですし


そんなことも知らないの!?って
大仰に驚いてみせるなんて
酷いと感じます。


周囲の人間の自己肯定感を
下げる応対が
日常的に行われていたなと
認識しています。

本当に可哀想だった辛かった
いつ馬鹿にされるかわからない状況で

あの家庭では信頼の意味が
よく分からなくても当然だと思います



なのにこちらの質問に対して
父の回答に重ねて質問したりすると


下らねー、知るか、勝手にしろ、バカじゃねーか!
など怒鳴りあげ会話を強制終了するような父でした。


コミュニケーションが下手なのは父で
子が分からないことを分からないと言って

攻撃される経験は子供心に
本当に怖かったし辛かったと思います。




質問は好意的な意味でのものもあるし
お互いの関係が深まるような質問もある


「質問」のイメージを
改善したいなと思えました。


読んでくださりありがとうございます

この記事が面白かったら
拍手ボタン

(何回でもどうぞ!)

Youtubeもやってます
チャンネル登録してもらえたら

とっても嬉しく励みになります
頑張らない子 - YouTube  

私には歳の離れた兄弟がいて

その子は何度目か
の引っ越しののち

引きこもりになって
現在に至る




私自身が実家と
絶縁しており
近況はわからない







障害児の兄弟を
きょうだい児というが

引きこもりの兄弟も
何か呼び名はないのかな?

と、思う





家族問題に詳しい
精神科医齋藤学先生の本を
読んでいて、引きこもりの
兄弟について振り返った








私は生涯で3回転校している
一番辛かったのは
絶対に高校の転校だ
人生の別れ道だった



ところで彼が
引きこもったのは
彼にとっては
初めての転校だったか?


そんな疑念が湧いた


私の転校は8歳10歳16歳だから
そのときの彼の年齢からすると
1歳、3歳、9歳だっただろう


真ん中の子は
5歳、7歳、13歳で
転校していることになる
真ん中の子もなかなかだなぁ
小1、中1で転校かぁ
大変だっただろうなぁ


人好きのする
切り替えの早い子だったから
そこまでではなかったのかなぁ?



一番下の弟は、
そうかそうか


確かに彼にとっては
初めてでたった一回の
転校経験だったのか



彼が初めての転校を
した9歳の頃

家庭環境は最悪で
私の心にも大きく
影を落とした時期だった


父の家族への
当たりが酷くて
面前DVが私の心にも
傷を使った



ふと、
兄弟が引きこもりに
なったのは



お母さんを守るために
男の子の僕が家にいなきゃ


という気持ちからだったの
かもしれないと、
思いついた



または、

シンプルに
転校という環境変化に
ついていけずだったのか


地域を跨いでの天候で
言葉の壁に引っかかって
馴染めなかったのか


優しさゆえに自己主張
できなかったからなのか

わからないけれど

きっと何か理由が
あるんだろうな
と思った


10年ほど前の私の
引きこもりへの対応は
自分本意で未熟なものだったなぁ

申し訳なかったなぁと
反省している


読んでくださりありがとうございます

この記事が面白かったら
拍手ボタン

(何回でもどうぞ!)

Youtubeもやってます
チャンネル登録してもらえたら

とっても嬉しく励みになります
頑張らない子 - YouTube

↑このページのトップヘ