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アラフォー 毒親育ち ネグレクト アダルトチルドレン HSP 自己肯定感  あえてゆっくり自分のために自分と向き合うために 

相談


カタルシス効果を知っていますか?

カタルシス効果というのは

自分で誰かに話しているうちに

自分の感情が整理されていき

自分の取るべき進路が

わかったりすることです


言われてみると”あーーー”

ってなりませんか?






誰かの相談を受けたときに

それに対して何か有効な

アイディアを持っていない時も

あるでしょう


相談内容が支離滅裂で

内容が理解できないことも

あるでしょう



そんな時は相手の言葉に

耳を傾け 評価せず

要点をかいつまんで

言葉返しをして

じっくり聴くことで

充分なのです



相手は話すことができるだけでも

救われる部分があるのだから


私の好きな古宮昇先生の本から一部抜粋
悲しむ人の話を聴いていると、なんと言ってあげればよいかがわからなくなることもあるでしょう。必要なのは、話し手の悲しみ、怒り、空虚感などの気持ちに寄り添う姿勢であり、何を言うかはあまり重要ではありません。悲しみにくれる話し手は、聞き手が言ったことなど覚えてはいません。話し手が覚えているのは、相手が悲しんでいる自分と一緒にいてくれた、という事実です。
引用 古宮昇著 ぶり返す「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!


読んでくださりありがとうございます

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大変な思いをしている人の力になりたい
優しい人ほど気をつけておきたい



傾聴時の注意



全部の相談に乗ろうとしない事

頼ってくれて話してくれて嬉しいからと言って

無理してまで相談に乗らない事

自分の生活を放ってまで人の相談に乗らない

自己肯定感を満たすために人の力になろうとしない事ですよ




<傾聴のおさらい>

極端な話でも否定せず
感情に注目し、特徴的な感情を受容し

可能そうであれば事実の認識の歪みを整理する聴き方

これで十分相手の為になる

それが傾聴




ですが、、、、




自分でサポートできなさそうな

キャパオーバーな話題に発展すれば

感情の受容そして事実の歪みの整理の後

専門家を紹介することも検討する

話を聞いた人の大切な役割になるそうです





例えば
友達が継続的に家族から暴力を受けているという相談なら


可能な範囲で気持ちの面を整理して聴きながら
DVの相談窓口へ連絡することをお勧めするのです


専門窓口に相談するかしないかは
話し手の課題にはなりますが

友達の事を思い橋渡しを試みるのも良いケースでしょう




また、次の2つの場合も注意が必要です








①話し手の癖やちょっとしたしぐさに嫌悪感を抱いてしまう場合
自分の感情をコントロールできなくなるので、
その人を心から支援することは難しくなります

自分の過去の人間関係の嫌な思い出が感情転移して
フラットに話が聞けなくなる可能性が高いからです



②自分が話し手と似たような問題を抱えている場合
自分の課題と相手の課題を混同しやすくなります
相手の話をしているはずなのに自分をオーバーラップさせて
相手の感情に巻き込まれやすいです

こうした場合、自分もフラッシュバックし
相手を支援できない為問題解決に結びつきにくくなります


じゃあどうしたら良いか?


①、②の場合、自分のメンタルの為にも相手の為にも
深く話を聞きすぎずに、すーーーーっと話題を
逸らしてよいと思います





もしあなた自身が未解決の問題を抱えている場合
あなた自身の問題解決が先決です





シャンパンタワーの法則にあるように
自分を最初に満たす事が大切ですね



読んでくださってありがとうござました!

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もし日常生活を送るのも苦しいほどの
状況であったら、公共機関のサポートを
受けることをお勧めします


非常にお辛い状況が続くと
それを言語化できないことも多々あります
自分の身に起きたことが自分でも理解できないような
それだけ表しようのない深い苦しみもあるのです


そんな時は行政への相談も検討しませんか?
暴力、性的被害等は心だけでなく
体にも大きな危険があります


シェルター等もありますので、
生き抜くため専門家を頼ってみましょう


家庭のことを話すのに気が咎めるならば
匿名相談できるところを探すのも良いです









抵抗があると思いますが、
心理や家庭内虐待の専門家は
話が早いこともあります


よく理解し適切な質問し整理してくださいます
公的な組織ですとお金の心配も大変少ないです

少し脇道にそれますが
私はこういう時たくさん納税してくださる
お金持ちの方々へ感謝の気持ちを感じます



親子関係では子供は親の悪事、悪態を
人に話すことが難しいです。

ただ虐待は大きな社会問題です。



身の上は本当に辛いと思いますが、
だからこそ社会の仕組みに助けてもらっても
いいと考えています

※YouTubeでアダルトチルドレンの回復を発信しています
機能不全家族から回復▷毒親育ち/アダルトチルドレンに向けたエール
https://www.youtube.com/playlist?list=PLqiZBmsWoNbomHngsUuRM63_BkSu-AXdk

毒親育ちで、人が信じられず、誰になんと褒めてもらったりしても親からのラベルが強すぎ(←あるある?汗 自分に自信がなく、人に頼れず、やせ我慢で大丈夫、といいがちなそんな人がいたら、私と似てます。

ところが最近少し少し相談する気が起きてきました。
そんな記事です。

相談しても改善するとは限らない

相談しても、余計状況が悪くなった経験はないだろうか?

私はある。
どちらかというと相談しても状況が悪くなる傾向が強い。

だから、相談したくない!と思っていた。

問題を解決したいという気持ちと、問題が余計大きくなって欲しくないという気持ちと、ごちゃ混ぜな結果、そうした経験から相談は控えようという判断になっていた。



相談のダウンサイド

人に話すことでスッキリするレベルの話なら良いが、相手を選ばないと本当に思わぬところへ話が展開して、相談によって得られるメリットよりもダウンサイドが大きくなる場合がある。


相談相手は慎重に選ぶべき。

相手が困りごとに関する知識があるかどうかが重要で、それがない場合、意味がないばかりかダウンサイドが目立つ可能性が高い。




相談できるくらい自分の状況を整理できてきたら、


トラブルに混乱してどうして良いかわからない時、混乱している時、自分の状況を表現することが難しいかもしれない、

こうした状況でどうなりたいの??

と聞かれても今が辛いとしか言いようがない。




この状況から、少し自分を客観視できるようになったら、しかるべき場所に相談するのもいいと思える。


気持ちの置き所、今後の働き方、家族との関係、だれか人と話してその人が答えをくれるとは思わないけど、専門知識を持って何か自分で見つけられない角度のアドバイスをもらえるかもしれない。

自分の気持ちをガードしつつ少し相談をしてみようかという気持ちになってきた。


幸せを感じながら生きていたい。



毒子でHSPの私は相談することが苦手だ。

相談して物事が好転した経験が少なすぎるからかもしれない。


私みたいな人は、『誰かに相談しないでよいメンタルが保てる環境』にいるようにしたほうがいいかもしれない。

または、

相談する目的をはっきり持って、落ち着いて相談する相手を選ぶのがいいのかもしれない。


【毒親は子の相談に乗らないばかりか、馬鹿にする】
私が子供だった時、相談相手の多くは毒親だった。

毒親は相談したところで力になるそぶりがない、真摯に話を聞かない。

悩んでいるところに、「うぁ~いやになっちゃうね~くっだらね~」などと、悩んでいること時代がダメなことのように追い打ちをかけるので、すっかり相談するのが嫌になってしまった。

かわいそうな子供だった。



【家族以外に相談するのも気が引ける】
恥ずかしい、うまく説明できない、迷惑じゃないか、理解してもらえないのでは、否定されたらいやだな、アドバイスを押し付けられて頭が混乱するんじゃないか、


問題は解決しないばかりか、心を開いて話したことが、周りに広まって良くない結果となるんじゃないか?


そんな風に思う。



【仕事の相談もあまりいい思い出がない】
仕事の相談も、勝手にメールのCCを増やされたり、困っていることを広められて、いやな思いをしたことが多い。

仕事を辞める時に「相談してくれたらよかったのに」と言ってくれる人がいるが、じゃあ相談したら何してくれたんだ?と思う。

相談したところで、やめるに至る原因はそうそう消し去ることはできない文化的な事柄だったり、体制的な事柄だったりするので、誰に相談してもどうにもならないだろうと思う。




【困ったときに「人」に相談するのは、「人」を選ばないとダメージを広げるだけ】
私の場合は、今までの人生で相談をしてすっごく物事が好転した思い出より、

つらい思いをして勇気をもって相談をしても嫌な思いをしたことのほうが多い。

(例えば会社でハラスメントの被害の相談にのってもらっていた相談相手の年配の女性が、親身にしてくれていたと思ったのに手のひらを返したように不当な人事を画策していて私が異動されるなど、、、今思ってもひどいね。)



だから、困ったときは人に相談というのは、「人」ってだれかが特に重要なんだろうと思う。



相手がその困っていることに何か造形が深いことや、その人に話すことで得られるメリットが思いつかない限り、話すだけ無駄じゃないかなと思う。



「人」は相談されると何らかのアドバイスをしようとするので、その押し付けがあったりして、厄介になったり、

相談内容をまたほかのだれかに相談するなどして広めてくれちゃったりして、やりづらくなる。


結果自分のダメージが広がるだけとなる。



【相談相手を間違う=腰が痛いのに、眼科や皮膚科に行っても治してもらえないようなもの】
腰が痛いなら、整形外科に行くなりするのがいいんだけど、眼科や皮膚科に行っても腰痛はよくならないだろう。

相談もきっと相手を選ばなければ状況は好転しないと思う。

相手を間違うと、

”わかってもらえない、状況が改善しない、
説明の仕方が悪かったのだろうか?勇気を出して相談したのに!”

などのフラストレーションをためることとなり、自分のエネルギーをさらに浪費してしまう。




【できるだけパニックにならないようにしたい】
私は、精神的に余裕がなくなりがちで、焦りや不安を感じやすい性格なので、

できるかぎり、パニックになるような状況に身を置かないようにしたいと思う。


むやみに相談やカウンセリングを受けると、私の場合混乱してしまうだろうから、

解決したいことの優先順位を少しづつつけてからのほうが納得のいく相談ができるような気がする。




【パニックにならない自分が快適に思える環境整備】
何にしろ自分が焦らずに安心して過ごせる時間を少しずつ積み重ねて、
心身が健康でいられるように、、小さなことから、環境整備をしていこう。


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